|
私は、長年葬式クリスチャンでしたが、信仰暦はまだ2年にも満たない子供です。子供ですので、本当に詳しいことはわかりません。栄先生の御説明と基本的には同じかと思われる解説を、京都福音教会創設者の一人クロード・トムソンさんから最近メールでもらったことを思い出しました。以下に訳しておきますので御参考にしていただければ幸いです。
トムソンさんのメールから 洗礼について。マタイ28:19にイエスの弟子に対する指示があります。これはイエスの最後の教えでした。そしてこれはまた宣教にかかわる言葉でした。イエスは天に帰ろうとこの地を離れようとしていたのです。「だからあなた方は行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父とこと聖霊の名によって洗礼を授け、あなた方に命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(訳文は新共同訳。英文は、「あなた方に命じておいたすべてをまもるように」が、「全民族に」となっています) ここは、私には、聖書の中にある,イエスがどういう人なのかに関する最も明確で、最も力強い説明です。説明します。神のすべての計画は弟子達の掌中そして責任の中に委ねられていったのです。そして弟子達は一人残らず、全員がイエスの名前で洗礼を施したのです。なぜならば彼こそが父であり、子であり、聖霊だからです。 イザヤ9:6(日本語訳では9:5.英語訳と日本語訳では節の番号が微妙にずれることがあります)の預言は 「一人のみどりごがわたしたちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた。権威が彼の方にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神永遠の父、平和の君」と唱えられる。」 聖書の沢山の場所に「神と主イエスキリスト」というような書き方がみられますが、それは問題ではありません。イザヤの44:1を読みなさい。「そして今私の僕ヤコブよ、私の選んだイスラエルよ、聞け」--ヤコブの名前は彼が天使と闘ったあとイスラエルと帰られたことを知っています。しかし、ここだけではなく、いくつか他の場所でも、まるで2人の人物が語られているのだと一部の人々に思い込ませてしまう部分があるのです。ま、私はここでは水の洗礼のことだけに限定して説明をしましたが、もし誰かが何か質問があるというのならいくらでも答えます。 トムソンさんのメール以上
要するに、天国にはイエスであり、かつ父であるただ一人の神しかいたことがない、したがって助け主としてわたしたちのもとに降る聖霊もまたイエスの御霊なのだという主張になるようです。
かつてローマカトリックと正教の分裂の際に、一つの論点となったのが、聖霊を送るのは「父」お一人なのか、それとも「父と子の両方」なのかという点であったそうですから、いわゆる伝統的な神観(三位一体)においては、明確に父と子を別の人格として扱うことを思えば、この違いは大きいと言えそうです。 もし何かさらにお尋ねになりたいというのであれば、またお書きください。私自身の勉強にもなりますので、色々な先生方にお尋ねし、できれば先生方に直接この場で御解答いただくよう努力いたします。 |