017717
聖霊のスペクトラム
[トップに戻る] [使い方] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]
おなまえ
Eメール
題  名  
コメント
URL
パスワード (記事のメンテ時に使用。英数字で8文字以内)
文字色

掲示板閉鎖のお知らせ 投稿者:Mog-Ur 投稿日:2006/01/05(Thu) 18:14 No.117  
最近余りに出会い系サイトの書き込みが多いので、この掲示板を閉鎖することにしました。書き込みができないようにいたしますので、書き込みいただいてもエラー表示しか出ません。
コメントをいただける方は直接メールをくださいませ。


どなたか教えてください。 投稿者:Mog-Ur 投稿日:2002/03/07(Thu) 11:54 No.13  
クート一家は、ヨシズ・ハナちゃんが肺結核で急逝した後、ルース姉とグレーシー姉が結核に感染していることが判明し、急遽渡米することになりましたが、これは何年のことだったんでしょうか?どなたか御存知の方是非、教えてください。


Re: どなたか教えてくださ... へんてこすて - 2002/03/07(Thu) 20:47 No.14  

「不可能は挑戦となる」を読んでみると、1941年のように思われますが。


Re: どなたか教えてくださ... Mog-Ur - 2002/03/11(Mon) 15:50 No.16  

感謝します。
私も、1941年のことだろうと漠然と思っていたのですが、ルース・ベル姉の書いた、お母さんのエスター・クート姉の伝記小説を読んで、混乱してきました。
 クート兄の自伝を読むと、一家は、まず女性達4人が一足先にアメリカに渡りました。そしてそれから半年後に、日本政府がアメリカへの送金を許さなくなったので、クートとデービッドも渡米したとあります。そして、しばらくして、レナードは、日本に帰ろうといろいろ準備を整えたのだが、聖霊に押しとどめられて、結局日本に帰ることを止めて、日本で留守を預かっていた2名の婦人宣教師達に、日本を離れるよう長文の電報をうった。もし、この時、日本に帰る便に乗船していたら、真珠湾攻撃の時は公海上にいただろう云々とありました。
 ところが、ルースさんの本を読むと、

「クリスマス直前にレナードは、日本にいる宣教師の一人から電報を受け取った。そこには『ウォリーは多分アメリカにいる』と書いてあった。」

というところがあるのです。
 ウォリ-とは、フェイスさんと結婚した宣教師のことですが、レナードはこの二人の結婚に猛反対でした。ひょっとしたら、女四人先にアメリカに渡らせたのは、一つには、フェイスさんをこの若い宣教師から引き離すことが目的だったのではと疑わせるところもあります。
 そして、エスターさんとフェイスさんは、アメリカ行きの船に乗れることになった時には、生駒におらず、有馬にいた、そのため二人の荷造りはルースさん、デービッドさん、そして2名の婦人宣教師がし、二人は有馬から港へ直行したとありますが、それも、実は、フェイスさんが家出をしていたのを、エスターさんが連れ戻しに出かけていたためだったとルースさんは書いています。
なんにしても、一家はテキサスに着きました。そしてしばらくしてレナードとデービッドがアメリカにやって来る。そして、秋には子供達はそれぞれアメリカの学校に入学します。フェイスさんは、フォート・ワースのアッセンブリーズ系のバイブル・カレッジに入学しました。そして届いたのが先ほどの電報なのです。

真珠湾攻撃は1941年12月8日のことですから、この電報の「クリスマス直前」は41年のクリスマスではありえません。真珠湾攻撃の後、外人宣教師がアメリカに電報を打てるはずもないですから。

この電報と相前後してウォリ-はフォート・ワースの聖書学校に行き、すでに成人(18歳)になっていたフェイスさんと6月25日に結婚式をあげると決定し、それからサン・アントニオへ、レナードの承諾を取りに出かけています。つまり、レナード・クートはこのクリスマスにはサン・アントニオにいたのです。
 そして、レナードは、二人の結婚を一度は承諾しますが、後で心変わりをし、結局2人の結婚式に家族が参列することを禁じてしまいますが、ルースさんの本を読んでいると、この6月25日にはまだ真珠湾は起こっていないようなのです。

 もしそうだとすると、レナードは、真珠湾攻撃の一年以上前からアメリカにいた、そしてその間、生駒の管理はダン姉とヒューズ姉に委ねられていた。さらに、レナードの自伝を素直に読めば、真珠湾攻撃の直前になって初めて、この2名の婦人宣教師に香港経由でニュージーランドとオーストラリアに渡るよう電報を打ったということになるように思います。
 
 はたしてそんなことで、この2名の婦人宣教師達は迫害を免れることができたのだろうか、海外からの資金援助が滞る中、生駒の運営はちゃんとできたのだろうか、とついいらぬ心配をさせられます。

 ルースさんの本を読んでいて、もう一つ、えっ?と思わされることは、女性ばかり4名がアメリカに行くことになったのは、聖書学院や教会の運営などがあったからではなく、6人全員分の運賃が捻出できなかったからだとはっきり書いてあります。

 同じレナード・クートなる人物が開設し、同じレナード・クートなる人物が訓練をした聖書学院出身者、あるいは教会の信徒達でありながら、アメリカの聖書学院出身者達はミッショナリーと呼ばれ、実名もあげられている。また、エマニュエル教会の信徒達も「不可能は挑戦となる」26章にいろいろ名前が書かれてある。しかし、生駒の卒業生達、あるいは横浜からレナードについてやってきた人々は、my workers(私の働き手?一体日本語訳はどうしてるんだろう?)でしかない。名前ももちろん出てこない。そして奈良や大阪の教会で救われた人々に至っては、まったく個人としては扱われていない。

レナード・クート兄が、宣教師追放令が出されるよりも前に渡米したことは、「京都福音教会最初の一歩」に書きました。しかし、二人の本には、まったく年代が示されていないので、本当にこんなタイミングであったのかどうか、確認を取りたいと思ったのです。

御存知の方いらっしたら是非情報提供をお願いします。


Re: どなたか教えてくださ... Mog-Ur - 2002/03/19(Tue) 06:57 No.17  

ルース・ベル姉に直接疑問点をお尋ねしましたところ、非常に率直で、真実み溢れるお返事をいただきました。少し落ち着いたら、内容を整理してHPにアップしたいと思っています。


興味深い記事でした 投稿者:Mas 投稿日:2002/02/27(Wed) 13:28 No.11  
とても興味深い記事を拝見いたしました。特に戦前のペンテコステ史に関する記述は限られていますので、とても貴重なものでした。幾つかの点についてコメントさせていただきます。
1.グレーは、早い時期にワンネスの信仰を持ち戦前再来日を果たした時点で、すでワンネスの信仰をもっていました。彼らの息子の影響ではありません。
2.戦後すぐのクートとイエスの御霊教会の村井との関係は興味深いものでした。イエスの御霊から生駒へ神学生が送られていたのは知りませんでした。戦後すぐ山田盛彦の名前が生駒でもイエスの御霊でも見られるのはそんな関係だったからでしょうか。
4.神戸のメアリー・テーラーとソーントンを通じてクートと村井が大正期につながっていました。長島ツルとで出会ったのはずっとあとのことです。長島は立川のデスリージのベレア聖書学院で学びました。デスリージはテーラーを介してクートと出会っています。
5.クートと村井の神学的相違(聖霊のバプテスマについて)は研究の価値があることがらです。クートが「方言で祈ってはいけない」と言ったことの真意はどこにあったのでしょうか。
6.戦前の生駒の卒業生の中にも沖千代、内村誠一、小川裕らの諸氏がクートから離れていますが、戦後もそうですが多くの弟子達がクートと袂をわかったのですが、その原因は本当にクートのワンマンさにあるのでしょうか。


Re: 興味深い記事でした Mog-Ur - 2002/02/27(Wed) 22:49 No.12  

感謝します。
貴重な情報ありがとうございます。
1.クートがグレー夫妻とであった頃には、グレー夫妻はワンネスであったのですね。
 実は、ルース・ベルさんの書いたお母さんのエスターさんの伝記小説には、二人が結婚する前に、クートは使徒2:4と2:38などいくつかの(several)教義上の問題に関してエスターにも自分と同じ信仰をもってもらいたいと何通か手紙をやり取りしたという記述があります。この記事を書いた後で見つけたので、記事はそのままにしてあります。最初にこの本を読んだのがアメリカからの帰りの飛行機の中だったので、おそらく読み飛ばしてしまったのだと思います。
 いずれにしても、これで,クートは結婚するころにはもうワンネスであったということがこの記述からも類推できますし、その故にグレー夫妻とも協力関係に入ることができたと言えそうですね。
 しかし、逆に、戦後の,生駒の立場には、さらに???が沸いてまいります。
2.1948年か47年かのいずれかにクートが、戦後最初に日本に帰ってきて、村井の所を訪れた時、たまたま信徒を散らしきって、たった一人の「教会」の「牧師」であった山田盛彦が村井のところに、家庭集会の一つでいいから自分にもたせてくれとせがみに来ていたそうです。そしてそこでクートと出会い、自分は、長年の郵政省勤めで年金もあって、生活の心配はないから給料はいらない(あるいは半額でいい?)から自分を使ってくれと頼み込んだそうです。村井は強く反対したけれど、クートは給料はいらないという言葉にひかれて使うことにした、という話を聞いたことがあります。村井と山田の関係は、戦前両者ともにアッセンブリーの牧師であった頃からのものだと思います。
5.クートと村井の神学的相違については、詳しくはわかりませんが、ヌキタ氏の話では、異言によって証しされる聖霊のバプテスマがなければ救いはないという村井の立場をクートは受け容れられなかったということのようです。
6.戦前の生駒の卒業生の名前は、まったく知りませんでした。クートの自伝を読んでも、日本人の名前はまったくと言っていいほど出てきません。沖千代、内村誠一、小川裕らの人々はなぜクートから離れたのでしょうか?大変に興味があります。何か御存知でしたら是非教えてください。メールをいただければ幸いです。



トムソン師のインタビュー 投稿者:Mog-Ur 投稿日:2002/02/22(Fri) 20:50 No.6  
昨年の9月テキサス州サンアントニオでインタビューしたクロードトムソン師のお話をアップしました。読んでいただければ幸いです。


Re: トムソン師のインタビ... へんてこすて - 2002/02/23(Sat) 18:19 No.7  

もう十数年前になりますが、サンアントニオの聖書学院やリバイバルテンプルを訪問したことがあります。私が救われた教会の宣教師は、トムソン師と同じようにリバイバルテンプルからサポートをもらっていました。数年前にアメリカに帰りましたが、クート先生の孫になります。教会を建設することができたのもリバイバルテンプルのサポートによるところが大きいです。リバイバルテンプルのジョン・ベル先生やダビデ・ベル先生は何度か、リバイバル聖会をしてくださいまいた。トムソン先生の藤林先生に対する思い出のお話しには、その人柄に感動しました。そして神様を求めていくことの素晴らしさを教えられました。調味深いインタビューに感謝します。


Re: トムソン師のインタビ... Mog-Ur - 2002/02/25(Mon) 22:37 No.8  

クート先生の孫というのはネイサン・ベル師のことでしょうか?とするとへんてこすてさんはネクスト・タウンズなんでしょうか?
 私はサンアントニオにいった時、そこが自分の母教会の母教会にあたるとはまったく知らずに、デスティニー・チャーチ(前のリバイバルテンプル)を訪れました。そしてIBCもいわば偶然に見つけ、訪れたのでした。後になると、すべてが導かれてのことであったのかと合点もいたしますが、本当に不思議の連続でした。
 私がトムソン師に尊敬の念を禁じえないのは、すべての富を、文字通り天に積んでおられるその生き様が一番大きくあります。
 UPCIの律法主義的なあり方には大きな疑問を抱えながらも、京都福音教会の枝チャペルに集う者として、トムソン師の日本宣教を支えてくれたサン・アントニオの兄弟姉妹、そして全米各地のUPCIの兄弟姉妹たちの愛だけは忘れることがあってはならないと思います。その愛こそが、宣教という愚かな手段の原動力となり私たちを救いへと導いてくれたのですから。


Re: トムソン師のインタビ... へんてこすて - 2002/02/26(Tue) 22:10 No.9  

ネイサン・ベル師のことは知りません。NTCではありません。写真にルース・ベル姉が写っていました。彼女はクート先生の長女だと思います。私が救われた教会の宣教師は、多分2女か、3女の子供だったと思います。一人は幼い時、日本で亡くなっています。生駒にあるその墓に宣教師と一緒に行った記憶があります。
トムソン師が「藤林兄弟はとてもやさしい人だった。彼は霊的な人だった。彼のことを知れば知るほど、私は彼を愛するようになった。そして彼を知ったが故に、私の人生は豊かになった、いやいまだにさらに豊かなものになっている。」がこのように言った藤林先生に会ったことがないのは、残念です。


Re: トムソン師のインタビ... Mog-Ur - 2002/02/27(Wed) 00:19 No.10  

私も藤林邦夫先生にお会いしたことはありませんでした。
正直、今日、へんてこすてさんがこういう書き込みをしてくださったということ、まさにそれ自体が、単なる偶然とは思われません。と言いますのも、今日、私は中央チャペルの礼拝堂で、初めて邦夫牧師の説教をビデオで見、そしてはっきりと理解したからです。

多くの人々が、邦夫牧師を「言葉の賜物」の人であったと形容されました。しかし、邦夫牧師が行った最後の説教を聴いて私は感じました。語っていた肉は邦夫師であったかもしれない、しかし霊は主のものであった。

リバイバルと言います。それは人間の意志では起こせないものだと今日改めて思いました。邦夫師のように、存在のすべてを霊に対して開ききった時、初めて与えられる恵みなのだと。

是非、一度中央チャペルをお訪ね下さい。そしてビデオをご覧下さい。私の言葉を御理解いただけると思います。


聖霊スペクトラム 投稿者:へんてこすて 投稿日:2002/02/17(Sun) 17:55 No.1  
京都福音教会の創設に関する歴史を興味深く拝見しました。以前に生駒聖書学院は”ワンネス”ですかと、聞かれたことがあります。”ワンネス”とか”トリニティ”とか、神学的なことは良く分かりません。しなし、なぜ、そのように言われたのか良く分かりました。また、イエスの御霊教会は誰が始めたのかも分かりました。各教会にはそれぞれの歴史があり、その中で教会の形成されていき、それぞれの主義、主張があります。心の中では自分のところが一番だと思っているのではないでしょうか。そしてある時は、教会の方針と違うような人を聖書的ではないと排斥することもあるでしょう。やどかり信徒というのも、一つの信仰のありかたかもしれないと思います。


Re: 聖霊スペクトラム Mog-Ur - 2002/02/17(Sun) 17:57 No.2  

感謝します。
お久しぶり、、、ですね。ずいぶん以前に中央チャペルの旧掲示板でお尋ねいただいたことがあるように思うのですが人違いでしょうか。
何にしても、こうして書き込みいただきありがとうございます。
 私が「ヤドカリ」をしているわけは、母教会の牧師さんが「ここに客員としてお世話になりなさい」とおっしゃったからで、必ずしも自分の選択ではありません。
 イエスをキリストとする信仰は一人でももてますが、イエスをキリストとする信仰生活は一人ではできません。おそらくは信仰生活における大先輩であらせられるへんてこすてさんに講釈する気はありませんが、マタイの18:20他を見れば、互いに受け容れあい、心を一つにして祈りあうことのできる兄弟姉妹の存在が不可欠であると思います。私がヤドカリを名乗るのは、決して色々な集団のおいしいとこ取りをしようという魂胆ではなく、根は中央チャペルと母教会におろしながらも様々な教派の方々とも相互の異なりをのりこえてともに祈る喜びに与りたいという願いからです。
 へんてこすてさんは、邦夫牧師のことを御存知ですよね。また是非お話をうかがわせてください。


Re: 聖霊スペクトラム へんてこすて - 2002/02/20(Wed) 12:25 No.3  

早々のお返事ありがとうございます。おそらく、Mog-urさんの方が大先輩だと思います。邦夫牧師には、お会いしたことはありませんが、京都の北の方に大きな教会があって、10年くらい前に見に行ったことがあります。”ワンネス”について、簡単に教えていただけないでしょうか。生駒のクート先生は、主・イエス・キリストの名によって、バプテスマをしたそうです。それは、父と子と聖霊の名前が、主・イエス・キリストという名前に凝縮(?)していると弟子たちは解釈したと、栄先生から聞いたことがあります。栄先生のようにうまく説明できませんが、もっと簡単に言えば、主(エホバ)=父の名、イエス=子の名、キリスト=聖霊の名ということです。


Re: 聖霊スペクトラム Mog-Ur - 2002/02/21(Thu) 11:29 No.4  

私は、長年葬式クリスチャンでしたが、信仰暦はまだ2年にも満たない子供です。子供ですので、本当に詳しいことはわかりません。栄先生の御説明と基本的には同じかと思われる解説を、京都福音教会創設者の一人クロード・トムソンさんから最近メールでもらったことを思い出しました。以下に訳しておきますので御参考にしていただければ幸いです。

トムソンさんのメールから
 洗礼について。マタイ28:19にイエスの弟子に対する指示があります。これはイエスの最後の教えでした。そしてこれはまた宣教にかかわる言葉でした。イエスは天に帰ろうとこの地を離れようとしていたのです。「だからあなた方は行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父とこと聖霊の名によって洗礼を授け、あなた方に命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(訳文は新共同訳。英文は、「あなた方に命じておいたすべてをまもるように」が、「全民族に」となっています)
ここは、私には、聖書の中にある,イエスがどういう人なのかに関する最も明確で、最も力強い説明です。説明します。神のすべての計画は弟子達の掌中そして責任の中に委ねられていったのです。そして弟子達は一人残らず、全員がイエスの名前で洗礼を施したのです。なぜならば彼こそが父であり、子であり、聖霊だからです。
 イザヤ9:6(日本語訳では9:5.英語訳と日本語訳では節の番号が微妙にずれることがあります)の預言は 「一人のみどりごがわたしたちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた。権威が彼の方にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神永遠の父、平和の君」と唱えられる。」
聖書の沢山の場所に「神と主イエスキリスト」というような書き方がみられますが、それは問題ではありません。イザヤの44:1を読みなさい。「そして今私の僕ヤコブよ、私の選んだイスラエルよ、聞け」--ヤコブの名前は彼が天使と闘ったあとイスラエルと帰られたことを知っています。しかし、ここだけではなく、いくつか他の場所でも、まるで2人の人物が語られているのだと一部の人々に思い込ませてしまう部分があるのです。ま、私はここでは水の洗礼のことだけに限定して説明をしましたが、もし誰かが何か質問があるというのならいくらでも答えます。
トムソンさんのメール以上

要するに、天国にはイエスであり、かつ父であるただ一人の神しかいたことがない、したがって助け主としてわたしたちのもとに降る聖霊もまたイエスの御霊なのだという主張になるようです。

かつてローマカトリックと正教の分裂の際に、一つの論点となったのが、聖霊を送るのは「父」お一人なのか、それとも「父と子の両方」なのかという点であったそうですから、いわゆる伝統的な神観(三位一体)においては、明確に父と子を別の人格として扱うことを思えば、この違いは大きいと言えそうです。
 もし何かさらにお尋ねになりたいというのであれば、またお書きください。私自身の勉強にもなりますので、色々な先生方にお尋ねし、できれば先生方に直接この場で御解答いただくよう努力いたします。


ワンネスについて。 牧師 - 2002/02/22(Fri) 01:00 No.5  

感謝です。
へんてこすてさんが、歴史に興味を持って下さっていること、本当に嬉しく思います。
小生は、まさしく、ワンネス神観の中で産まれ育ちました。
そして、一番きつい時代に生きていた者の一人です。

そういう中で、かなり紆余曲折を経ながら、現在に至っています。

宜しければ、小生のアドレスへメールを下さい。
個人的に、できるだけ詳細にお答え致しましょう。
また、ワンネス神観の発生についても、1975年頃に纏められた論文があります。近々訳し直そうと思っていますが、参考まで送らせて頂きますので。元UPCの先生が精力的に纏めた内容です。

では、またお会いするのを楽しみにしております。

アドレスは、izaya@chuochapel.com です。
祝福を祈りつつ。

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No パスワード

- KENT & MakiMaki -