ビクター・ワイン

1950年イースター・サンデー:今朝目覚めたときの気持ちを言い表す言葉が見つからない。本当に日本に到着するのだ、それもイースターの日曜日に!時化にもみくちゃにされ、到着は遅れたが、神の言葉は教える。風すらも御心を実現するために吹くのだ。
 再び陸を目にし胸が躍った!誰も朝食の席に長居するものはいなかった、そして昼食のころには防波堤のすぐ外側の検疫錨地にとまっていた。検疫はじきに通過、その後水先案内人を乗せ港の中に入っていった。ゆっくりと、桟橋に近づく。誰か出迎えに来ているかと目を凝らしてみる。誰かが叫んだ、「ほら3人いるよ!」
 しかし、顔がわかるほど近くにくると、その人たちは帰国した学校の先生を出迎える一行だとわかり、本当にがっかりさせられた。さらに目を凝らした.一体、ジェス・メーソンとウイリアム・ヌキダはどこにいるんだ?きっと彼らはイースター礼拝に出ているに違いないと皆で話していたが、数分後、2人の男性が走っているのが目に入った、そしてワイン姉が大声で言った。「ほらあそこ、2人の男性がいるでしょう、一人はテキサス人よ、間違いないわ。」そして確かに、ジェスとウイリアムがそこにいて、私達は歓喜した。ワイン兄が彼らに日本語で叫んでいた、「感謝します!」(主をたたえよ!)。
[レナード・クート著「IMPOSSIBILITIES BECOME CHALLENGES」30章より、翻訳は蟻様翻訳サービス)

これは、レナード・クートが戦後、いよいよ生駒聖書学院を再開せんと日本に凱旋したときの模様を書いた日記の一節であるが、ここに名前の出てくる「ワイン夫妻」こそが、「京都福音教会」の生みの親である。

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