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| この色あせた「十字架」と題するガリ版刷りのリーフレットがなければ、京都福音教会の創設者としてのビクター・ワインの名前は永遠に忘れ去られるところだった。 左の写真(表紙)には、 |
| 「十字架 1号 1956年3月25日」 |
| 裏には、 |
| 「京都市北区衣笠街道町 発行所 京都福音教会 日曜学校 へんしゅう人 富永健二、安田治」 |
とある。そしてここには手書きの地図まで描かれているが、それによれば、昔京都市内を走っていた市電の「金閣寺」電停の真西に、この教会はあったようだ。なぜ、この金閣寺前の京都福音教会が忘れられてしまったのか?どうやらそれは、ビクター・ワインに原因がありそうだ。 聖書学院を始めて間もなく、ビクターは伝道への情熱を急に失い、この教会に集っていた数十名の信徒を「ほったらかしにして」(H姉、N兄他)愛知県に移ってしまう。まったく無牧状態で放置された当時の京都福音教会の信徒達は、家庭集会などでよく結束しがんばっていたようだが、やがて核になる人々も献身し、聖書学校に入学していったりで、57年に藤林邦夫が聖書学校から戻った頃には7〜8名にまで減ってしまっていた(トムソン)。だからおそらくは、この残った信徒達は、自分達の教会の歴史は、自分達を見捨てていったビクターワインからはじまるのではなく、自分達の許に神から使わされた藤林邦夫からはじまったという事にしたのだろう。 |