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Weekly Readings -- February 2, 2003

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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。

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A selection from John Main OSB, "Created to be Light," in THE HEART OF CREATION (New York: Continuum, 1998), p. 66.

 

影から出てくることは痛みを伴うかもしれません。みなそれぞれにお気に入りの隠れ家があり、そこへ逃げ込むことができます。しかし、光の中に入るというのはそういう隠れ家をすべてすてることなのです。なぜならば主なる神の混じりけのない光を唯一の安らぎの場とするのですから。このことに関しては子供のように単純でなければなりません。複雑にしてはいけません。単純化しなさい。

 

すべてのたとえや比喩には危険が伴っています。情け容赦なく過酷で無慈悲な真白の光を放っているアーク灯の目もくらまんばかりの話をしているのではありません。神は光であるという時、それは、その光を浴びているあらゆるものに啓示を与え躍動させる、柔和であらゆるものに行き渡る、常に純粋な光という意味です。それは明るいばかりでなく温かいのです。いやなによりもそれは現実が愛であることを明らかにする光なのです。そしてこの光の中に入るとその人格的な統一性に気づきます。また、その光の中に留まることで自分自身の存在が見えるようになります。というのもその光はあらゆるものをその真実の姿で見せてくれるからです。その光を分析したい、スペクトラムの中の構成要素にまで分離していきたいという誘惑に駆られます。

 

しかし分析だとか還元主義というのは祈りにおいては破壊的な態度といわざるを得ません。なぜならば、そういう考え方は、全体を部分から構成されている、言いかえると、まず部分があって、その後でその部分から全体が作り上げられるものとみなすからです。ところが信仰というのは、全体はその個別の表現に先立つと信じていますので、分析などよりも深いところにまで進むのです。祈りの中で神の個々の属性について考えを集中し始めるや、すでに、神の本質、すなわち神の完全さそして分離不可能な単純さの中での神の体験を離れてしまっています。

 

私達一人一人への召しは完全なものとしてそして全体としてその光を見なさいというものです。なぜならばその召しは、在るものはなんであれ、その完全さと全体の中で見なさいというものだからです。その光の中に留まることができるようになること、それが瞑想なのです。啓示を与える光は、神がすべてであることを教えてくれます。啓示を与える光は、私達は神の中にいる時にのみ本当に存在しているのだということを教えてくれます。というのは神こそが存在のすべてだからです。これを学ぶのです。だからその光の明るさの中で、神が存在していること、神がすべてであること、そして神が愛であることをはっきりと見てとりなさい。

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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。

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瞑想の後で

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THE ROOTS OF CHRISTIAN MYSTICISM by Olivier Clement (London: New City, 1995), pp. 235-36.

 

[グレゴリウス教皇はエゼキエルに関する法話の中で言っている]「瞑想的な生活は、魂が自らを神の方へ上らせようと、その肉体で目にすることができるものすべてを超越しようと、広がろうと力を合わせる時に、魂に大きな汚点をつける。時にはそれは勝利をおさめ自らの盲目のもたらす闇の抵抗を克服することもある。そうなると、魂は、ほんの短い間、秘密のやり方で、限界を知らない光のようなものを手に入れる。」

 

あたかも狭い隙間越しにというようなものであっても、神の光を垣間見れば魂はこの上なく大きく広がるものである。ほんのかすかな光であっても、あらゆるものが姿を変えるに十分である。

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