来週は都合で「瞑想の栞」の翻訳奉仕ができません。次の配信は3月28日頃となります。
There will be no Weekly Readings in Japanese next week. They will bedelivered around March 28.
The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
Weekly
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
Laurence Freeman (ベネディクト会), "The Fear of Death〔死の恐怖〕," THE SELFLESS SELF (London: Darton, Longman, Todd, 1989), pp. 129-131.
瞑想するということは毎日死と向かい合うということです。もし毎日死と向かい合い、一日ごとに自分を少しずつ死なせてやれば、その死の体験によって一日ごとにさらにゆたかに完全に生きることができるようになるでしょう。信仰をもって向かい合う時、死が、死の恐怖をのりこえさせてくれますし永遠の命の確かな希望をもって一日一日を生きることができるようになります。その希望のゆえに、瞑想は生き方なのです。言葉を変えれば、瞑想とは死に方であるということなのです。死は未来への意識を消し去り、今という瞬間に集中させます。他にどんな時があるというのでしょう。真実死と向かい合う時、私達は今という瞬間の中にいます。もし真正面から死と向かい合うことができるならば、実際に死ぬ前に永遠の時に入ります。しかし私達はいつも今という瞬間から逃れようとしています。
私達はたいてい過去に生きるか、あるいは空想の世界を創り出すかして今から逃れようとします。しかし瞑想をしている時は、マントラを唱えることがそういう二つの選択肢、つまり脱出口を閉ざしてしまいます。今という場所にいる以外、どこにも行き場がないのです。マントラは一方向を、すなわち中心を指し示します。それは狭い道ですが、真理の道です。マントラの道をたどるうちに、勇気と謙虚さをもってマントラを唱えることができるようになりますと、私たちのうちにあって、私達が生命の豊かさ、完全さに行き着くことを妨げているあらゆる物が消滅する道を進むことができるようになります。つまり私達は一日ごとに信仰のうちに死ぬのです。そしてそれが現実の死の瞬間に対する最高の準備なのです。しかし信仰のなかで死ぬ道であるため、それをたどるということは、必然的に私たちがどうしても立ち向かわなければならない2つの強い力との対峙の中にわけいることになります。すなわち恐怖と怒りです。
しかし怒り、そしてその怒りの元にある恐怖とは、瞑想はまったくかかわりのないものです。もっとも深い怒りは、死に対する最も深い恐怖に由来するものです。しかし怒りは、ありとあらゆる二次的な原因、すなわち私たちの心理を形作っている個々の要因からも生まれてきます。しかし瞑想し、そういう怒りを自分の心から洗い流そうという時には、絶対に、その怒りが一体どこから来るものであるのかを見極めようとしてはなりません。本当に大事なのは、怒りを洗い流すことです。マントラを信じる心には愛が働き、怒りが取り除かれます。このように強められた信仰をもって始めることができるならばとても有利に瞑想を始めることができます。キリストの力が怒りを取り除いてくれると理解できるようになっているからです。キリストは、死への根本的恐怖を克服したお方であり、私たちをその恐怖から解放する権能を与えられているお方ですから、聖霊の力によって怒りを取り除くことができるのです。<略>「神は愛です。愛に住まう者は神の中に住んでいますし、神はその人の中にすんでいます。これが私たちにとっては愛の完成です。審判の日に確信を持っていること、そしてこの確信を私たちはもつことができます。なぜならこの世においてさえ、私たちは、あの方がいますように私たちもあるからです。愛の中には恐怖の余地はありません。完全な愛は恐怖を消し去ってくれます」。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
>>>>> 30分間瞑想 <<<<<
覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
瞑想の後で
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
Olivier Clement 著THE ROOTS OF
CHRISTIAN MYSTICISM (London: New City, 1995 ), p. 249.に引用されたSt
Augustine of Hippo,の"Sermons 23, 7,
汝らの神の到来を恐れるな、神の友情を恐れるな。神は、来た時に汝を狭い場所に閉じ込めるようなことはしない。逆に汝らを大きくしてくださる。神が汝らを大きくしてくださることを汝らがわかるようにするために、「私は彼らとともに住む」と、来臨を約束してくださったばかりか、「私は彼らとともに歩む」と汝らを大きくしてくださることをも約束してくださったのだ。だから、汝らが愛すれば、どれほどの場所を神が賜るかがわかるだろう。恐れは我々を抑圧する苦しみである。しかし愛の大きさを見よ。