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Weekly Readings 2003323
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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Laurence Freeman: Dearest Friends, January 1997 WCCM International Newsletter

思い出す(remember)ということは「意識に呼び出す」ということです。だからそれは、すぐに気が散ったり、忘れてしまう私たちの性のためにしょっちゅう切り離されてしまうあの方の一部として再び組み入れられる(re-member)ということです。コンピューターに「オン・ライン」すると、コンピューターがワールド・ワイド・ウェブ(www)という偉大なる精神に結び付けてくれます、、、がその結びつきはもちろん、ただのテクノロジーでしかなく、すぐに途切れがちなものです。みんなが、emailや何か他の操作をしている最中に突然インターネット接続が切れてしまい、「もう一度接続しますか」とたずねる小さなウインドーを見た経験があることでしょう。

聖霊も、この小さなウインドーと似たやり方で、私たちが人間的もろさの真っ只中で、今まさに必要だというその瞬間にきっちりと介入してくれます。聖霊は何も要求しません。ただ一言、もう一度結び付けられたいかと尋ねるだけです、、、。もう一度一部として再び組み入れられるということ、つまりもう一度結び付けられるということが救いの御業、つまりいつでも与えられ、一生を生きるうちには体に刻み込まれていく慈悲の御業なのです。私たちはあらゆる物の中に神を意識し、神を見ながら生きる習慣を身につけていきます。自分が愛されていると信じるようになります。良い習慣は悪い習慣を駆逐するとわかります。過去、現在、そして未来を見通す洞察が身につくようになります。それは悔い改めをするということでもあります。というのも、すぐに、過去の過ちが、過去や未来に生きることから、つまり変化する能力を失ってしまった過去のやり方、生き方の罠にはまっていたり、短気や不安や夢想にあおられて未来の中を漂ったりすることから生じたものだということがわかるようになるからです。

永遠の「言葉」の受肉は歴史的一瞬の中で起こったことですがそれはあらゆる瞬間にも起こっています。この受肉を意識するようになることが黙想(contemplation)なのです。そしてそれを意識し続けるためには瞑想(meditation)の働きが必要です。瞑想の中で、様々なやり方、生きかたが新たに形作られていきます。古いものが溶解し新たな、もっと自由で自発的なものが心と知性の中で生まれるのです。現実に対し、もう一度その一部として結び付けられるというこの祈りの絶え間ない働きがなければ、たった今失ってしまったものや、明日起こってくれよと願っていることを考えてばかりいて、この瞬間という賜物を見失ってしまうことになります。

だから瞑想とはキリストの瞬間を生きることなのです。ジョン・メインはそのことを本当に深く理解していました。瞑想とは、この地上を歩いていたキリストのことを考えることではありませんし、またどのようにキリストが再来するかについて考えることでもありません。今、キリストとともにあり、キリストの存在の中で変えられることなのです。これは決して静的な歴史的一瞬ではなく、「存在」という神秘それ自体の流れであり、開花であり展開なのです。

瞑想を実践することが、瞑想の意味を理解する唯一の道であり、また短期間で瞑想から何かを手に入れたいと願う人々には思いもよらぬ深い意味を瞑想が持つことを、さらに、瞑想することによって何かを起こそうと考えている人々にはまったく理解できないものであることを理解する唯一の道なのです。瞑想を始めれば、マントラをどのように唱えればよいかがわかります。そして私たちのマントラの唱え方は、実は私たちのあり方そのものなのです。私たちの愛のあり方、日々どのように愛しているかなのです。

マントラは短気にならず、無理な力を入れず、何の意味も込めずまた激しさももたないで言わなければなりません。マントラの目的は様々な思いをブロックアウトすることではありません。決して受信妨害をするための装置ではないのです。もし瞑想の最中に雑念が襲ってきたら、もう一方の頬を差し出します。マントラを優しく唱える中で、私たちは、心優しく謙虚なあのお方から学ぶのです、、、。日々の生活が私たちの祈りに対する注釈となるでしょう。そうなれば、祈りが、私たちの日々の生活に対する際限のない注釈という状態から脱却できます。自分自身が祈りそのものに変化するのです。そしてそれこそがキリスト者の道のゴールなのです。
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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Rumi(ルーミ), "Love with No Object(対象を持たない愛)," より抜粋。THE SOUL OF RUMI(ルーミの魂),  Coleman Barks (New York: HarperCollins, 2001), p. 168.

人が落ち込むのを見たことがあるかい

自分の影に対する恋慕の情に?それを私たちはやっちまったんだ。手放せ
偏った愛のかけらなんて、そしてただひとつの愛を見つけるんだ

完全なやつを。それができる人はどこにいるというのか?そんな人は
本当に稀有の存在だ。恵みを与えられた心は

その祝福をあらゆるものの上に惜しみなく与える。差し出せ
物乞いの外套を、そして受けよ

その寛大な祝福を。そこから来ないものはなんであれ
鋭い石のように、差し出す布地を激しく痛め

あなたの誠実さをずたずたに引き裂く。だから無傷のままに保て、明晰を使え、
それを洞察と呼ぶ

あなたのうちには、何を受け取り、何から離れるべきかをわきまえた
決定的な力が潜んでいるのだ。
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