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Weekly Readings ?2004年1月18日号(1月18日配信)
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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John Main著, 「ゲツセマニ講話」"第二講話,"(”Second
Conference” THE GETHSEMANI TALKS (Tucson, AZ: Medio Media, 1999), pp. 35-37.
「自分を捨てる」というような言葉を使うときには細心の注意を払う必要があります。祈りにおいては、間違いなく存在の総体を神の善、その無限の愛を瞑想することに向けようと努めています。しかしこれをいささかなりとも実を持って行おうとするならば、まず最初に、真実自分自身に肉薄しなければなりません。祈り自体が、「自分の命を見つけようと思うならば、まず命を失わなければならない」(マタイ10:39)というイエスの言葉の真理を経験する道なのですから。そしてこの最初の一歩は、瞑想において単一の言葉の貧困に自分の命を投げ出すのに必要な自信を手に入れることなのです。
これがキリスト者の共同体のとてつもない重要性なのです――兄弟たちと共に生活し敬われ愛される者としての自分を経験すると、祈りに入ってこの完全な貧困、完全に自分を捨てることを実践するのに必要な自信が築かれていきます。そしてキリスト者の自己放棄とは常にキリストに与る自己肯定なのです。
瞑想そして瞑想の貧困というのは、自己拒絶の形というのではまったくありません。自分から逃げ出そうとしているのではありませんし、自分を嫌悪しているのでもないのです。まったく逆に、私たちの探求とは自分自身の探求であり、自分の人間としてのそして無限の愛される能力の経験の探究なのです。あらゆる身勝手さの向こう側に、あらゆる自我に基盤を置く行いを超えたところにある本当の自分の調和は、キリスト教の伝統の中で十二分に証されています。ジェノバの聖カトリーヌが実に簡潔にこう言っています。「私の私(原文「My me」、つまり「私の自分」)は神です。そして神の中以外に、私は、自分の自己を知りません。」しかし自分の自己に到達するためには、―あるいは、もっと適切で、多分もっと正確な東洋の表現を用いれば、悟りを得る(原文はrealize ourselves: 「自分を実現する」、「自分を認識する」)ためには―まったくひるむことなく自分を差し出さなければなりません、そして自らの貧困という根源的な経験の中に入り込まなければなりません。
そして私たちが差し出すものは、禅の言葉では死ぬと言うのですが、自分あるいは意識ではなく、いつのまにか誤って本当の自分と同一視するようになってしまった自分のイメージ、つまり意識を差し出す、もしくはそれらに対して死ぬということです。さて、これは「雲」の言葉を使うとすれば、「想像力豊かに働かせながら知恵を絞って解釈する」必要がある信条ではありません。しかし私たちが祈りの中で打ち捨てているものが本質的には非現実であるということは明らかにしてくれます。そして自分を捨てることに伴う痛みは、自分が非現実にはまり込んでしまっている度合いに、つまり幻影をどれほど現実として受け取ってしまっているかに比例することでしょう。
祈りの中では、他者との隔絶をもたらす自我の幻影を自分自身から剥ぎ取るのです。自分の全体を自我の思いから離して集中し、神によって造られ、イエスによって贖われ、聖霊の宮である本当の自分に集中することで、持続的な信仰の中で剥ぎ取るのです。
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>>>>> 30分間瞑想
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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Coleman Barks 訳THE ILLUMINATED
RUMI (New York: Broadway Books, 1997), p. 122.
君が読んだところに書いてある
愛の人は絶え間なしに祈る。
日に一度、週に一度、一時間に5回
は十分ではない。私たちが在るように魚は
私たちの周りに大海原が必要だ。
らくだのベルが言うだろうか?「また会いましょう
木曜日の夜に?
ばかばかしい。あれはチリンチリン
絶え間なしに一緒に
らくだが歩いている間中話をしているだけだ。
君は定期的に自分を訪問しているか?
理性的に議論したり答えたりするな
死のうじゃないか
そして死にながら、答えよう
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