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本部のRyan師から次のメッセージが届きました。
Our new pages are almost ready. When they are, there may be some delay getting
the latest readngs, news, etc. posted. I will appreciate your patience.
「ホームページがほぼできあがりました。完成しますと最新の「瞑想の栞」、ニュースなどの配信が遅れるようになるかもしれません。悪しからずお許しください。」
The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings ?2004年5月9日号
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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Laurence Freeman OSB. "Dearest Friends," WCCM International
Newsletter, Winter 2001.
心の平安は争いと恐怖の時にはなかなか見出せないものです。頭と感情が混乱している時にじっと座っていることは難しいものです。こういう時こそ瞑想がもっとも必要なのですが、逆にこういう時にはすぐに瞑想をやめてしまいがちです。そこで、瞑想は、自分のためだけのものではないということを知らなければなりません。もし自分のためだけにするものであるならば、私達は単に、宗教的消費者に過ぎなくなります。瞑想の意味は、その成果の中に、特に他人への愛と奉仕の中に見出されるのです。心の平安がある時は、心からの同情の中で他者に向かいますが、それがないと、他者に向かう気持ちは、エゴの欲望、怒り、そして競争心の支配下にあります。しかし神は愛であり、私たちの隣人の中にある恐怖を投げ捨ててくださいます、なぜなら自分の中でその愛と本当に出会った後は、隣人を害するなどということは絶対にできなくなるからです。
自己知識は、人間一人一人の独自性(ユニークさ)の神秘、つまり多様性の中の統一という神秘へと開いてくれます。自分の独自性をしっかりと把握しない限り普遍との関わりは築けません。エゴティズム(自己中心主義)の罠の中にはまり込んでいるからです。自分に固有の神聖さが認識されない限り、自分の存在がおかれていて、そしてそこにこそ真実、自分が属している全体を知ることはできません。大きな誤り(そして教権主義[聖職者が勢力を維持拡大しようとすること]の罪)は、自己知識に到達してもいないのにすでに普遍を把握したというふりをすることです。普遍を把握しようする、普遍を証明しようとする、普遍を操ろうとする−これらはすべて、自分はいまだ普遍によってとらえられていないという証拠なのです。
「普遍」とは何を意味するのでしょうか?イエスはそれを、御自身を、在るものすべてにまったく均等に与える神の愛であると表現しました。太陽のごとく、その愛は善の上にも、悪の上にも同じように輝くのです。つまり、神は人間の道徳を超えているのです。神が、私の側に立って他者と戦うなどということは絶対にありません。雨のごとく、神の愛は無垢なる者の上にも、邪悪な者の上にも降り注いでいるのです。つまり、神の正義は、人間の正義であろうとするいかなる試みをも超えるものだということです。一つの愛が、迫害するものとその犠牲者を一つに結んでいるのです。まずこの普遍を、それが今私たちに押し迫ってきているがままに経験する必要があります。そうすればエゴは次第にこそぎ落とされていきます。私たちを単純にしてくれます。そして私達の最も深い中心から私達の存在全体に注ぎ込み、生活の複雑さの上へと私たちを引き上げてくれるのです。そうなって初めて私達は本当に目覚めていることになるのです。そうなると発見と祝賀という人間の冒険が始まります。私達は同じ愛があらゆるところにあり、すべてのものに及んでいることを発見します。私たちがまだ愛することが出来ずにいる者達にまで及んでいるのです。そしてその者たちが、[まだ愛せないとしても]少なくとも愛の対象であるということは、分かるのです。私達はまたお祝いします。恋するものの目にしか見えてこない、あの酔いしれてしまうような美にひたり喜びます。そうなって初めて私たちは自分自身と、そして世界と本当に和解したと言えるのです。
平和は、悪を根こそぎ破壊して達成できるものではありません。自分の悪徳、つまり怒り、高慢、肉欲、に気づき、そういうものを破壊しようとすると、すぐに自己嫌悪に陥ってしまいます。つまり、なんだかだと言ったって、もし自分を愛せないとするならば、何でわざわざ他人を愛さなきゃならないんだ、ということなのです。自分の欠点を破壊しようと試みるより優れているのが、美徳を植え付けようとすることです、時間もかかるし、ドラマチックでもありませんがはるかに効果的です。それに宗教的偽善そして独善に陥ることを避けることで、より円満な人間性を作り出してもくれます。私達の欠点、つまり、自分の中にある悪の潜在能力の裏側に、多くの美徳の種子もあるのです。テロリストも、怒りにかられ、自分は神の怒りの遂行者であるという幻影にとりつかれる前は正義の芽を持っていたかもしれないのです。自分自身に対して戦争を仕掛けると(もっとも熱狂的な狂信者達の多くは自己否定的です)、とても大きな副次的危険を冒すことになります:自分の悪徳ばかりか、自分自身の美徳の種をも破壊するという非常に大きな危険をおかすことになるのです。あらゆる種類の暴力が人類に対する罪なのです。なぜなら、暴力は世界からいまだ生まれていない善を奪うものだからです。
やがて悪徳を圧倒することになる美徳を植え付ける最初のステップは、深い、そして規則的な祈りという根源的な美徳を確立することです。祈りの沈黙のリズムを通して、知恵が徐々に私達の精神と世界に浸透します。知恵とは悪から善を取り出す普遍の力です。知恵の書にあるように、「世の救いへの希望は知者の数の多さにある」のです。知恵のある者は、自己認識と自己妄想とを、感情超越と冷淡とを、矯正教育と残忍とを混同することはありません。知恵に法則はありません。法則が完全な普遍性を持つことは絶対にありません。しかし美徳は普遍的なものです。
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>>>>> 30分間瞑想
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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「知恵の書」 8: 21-29 Christian Community Bible (Quezon City,
Philippines: Claretian Publications, 1997), p. 925.
私は、目に見えるものそして隠されているもののすべてを知るようになった、なぜならそれらすべてを造りだした「知恵」が教えてくれたからだ。彼女の中に、聡明で気高く、唯一無二で多様な、繊細で活動的にして簡潔で明快な霊がいる。それは穢れることはあり得ないし、善なるものを愛し、何者によっても制約されることはない。それは全能でありながら、情け深く、人類を愛し、不変であり、信頼でき、穏やかである。それはあらゆるものを見、そしてどれほど聡明で繊細で純粋なものであろうとも、すべての心に貫き入る。知恵は、可動性においてあらゆる動くものに勝り、その純粋さの故に万物に浸透し行き渡る。彼女は神の力の吐息、全能者の栄光の純粋なエマナティオ(放射)であり、不浄なものは何一つ彼女の中に立ち入ることはできない。彼女は永遠の光の反射、神の行いと神の善を映し出す一点の曇りもない鏡である。彼女はたった一つに過ぎないが、それにもかかわらず知恵はあらゆることができるし、自分自身はまったく変ることはないが、あらゆるものを新たにする。聖なる魂に入り込み、その魂を預言者、神の友人とする。。。彼女はまことに太陽よりも美しく、あらゆる星座よりも美しい、いや実際彼女は光よりも優れている、というのも光は夜に取って代わられるが、悪は知恵に勝つことがないからだ。
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