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Weekly Readings - 2004年5月24日
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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John Main著「創造の心」(The Heart of Creation)所収、Kissing the Joy as it Flies (ニューヨーク、Continuum社1998年)pp74-75
超然と言うのは自分から解離することでも自分が抱えている問題や責任を逃れることでもありません。友情や愛情を否定することでもありませんし情熱だって否定するものではありません。超然の本質は、自己没入、すなわちしばしば無意識のうちに陥ってしまう、自分があらゆる創造の中心であるというあの考え方から離れることです。超然があって初めて愛が可能となります、なぜなら自分で自分を隔離している状態、つまり自分の利益のために人々を利用しようとするわがままから解き放たれるからです。
しかしなかでもとりわけ、そしてこれは瞑想の中で学ばなければならない重要な教訓なのですが、超然とは、自我としての自分自身の生存に関する不安からの解放です。人生がすべての人に教えてくれます。愛することは本質において相手、他の人々、そして神というより大きな現実の中で自分をうしなうことであると。自己中心的状態からの超然によって私たちは愛に向けて解き放たれ、その結果、生存への動物的探求によって支配されることがなくなるのです。超然は人間への全的信頼、相手への信頼、他の人々同様、神に対する信頼を必要とします。進んで手放そうという気持ち、他を支配しようという気持ちをすて、ただ在る強さが必要なのです。
瞑想のなかで、自分のマントラを唱えることができるようになると、信頼することができるようになり、ただ在ることができるようになります。実際、瞑想の喜びは、ただ在ることの祝賀であり、自分の命を賜物として受け取る純粋な喜びの祝賀であり、「それが飛び立つ時の喜び」にキスすることとブレイクが呼んだことを行うことなのです。祈りとは所有することでも、支配することでもなく、ただ在ることを純粋に喜ぶことなのです。瞑想が完全に静止した地点に導いてくれるので私たちはこの喜びへとたどり着くことができます。一人ひとりの中に、私でありながら、ただ私だけではない完全に静止した地点があります。瞑想の中で学ぶことは、唯一つの中心、あらゆる中心の中心があるということです。これが瞑想のなかでたどり着く理解なのです。それも自分自身の体験、それも存在の深遠なる統合、私たちの中にある統合、そしてその中に私たちが存在している統合の体験から到達するのです。
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>>>>> 30分間瞑想
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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T.S.エリオットFour Quartets(NY:Harcourt出版1971年)pp21-22所収 East Coker
この世はますます不思議なものなり、あの様式はさらに複雑となる
死者と生者の。凝縮した一瞬
以前も以後もなく、切り離された一瞬ではなく
あらゆる瞬間の中で生涯が燃える
しかもただひとりの生涯ではなく
今や読み取ることもできなくなった古い(墓)石たちの生涯が。。。
老人は探求者であるべきだ
ここでとかあそこでとかは問題ではない
じっと静止し、かつさらに進まなければならない
また別な凝縮の中へと
更なる統一と、より深い一致をもとめて
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日本語のWeekly Readings (瞑想の栞)翻訳・監修責任
WCCM日本語WEBサイト コオーディネーター 黒宮康明
E-mail:info@esuk.net
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