Home

前週の栞

日本語監修センター
075-862-7114

定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

水曜日
午後6時半-7時半
京都市上京区
西陣カトリック教会


The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org

The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
Weekly Readings - 2004
530
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
“The Gift of Fullness”

An excerpt from Laurence Freeman, OSB, “The Gift of Fullness,” from THE SELFLESS SELF (London: Darton, Longman & Todd, 1989), pp. 72-73.

自己認識の難しさをみごとに捕らえたアイルランドの物語があります。それは、鄙びた島に住む素朴な農夫についてのものです。ある日彼は町まで船を漕いで行き、そして町のお店で、それまで一度も見たことがないような鏡を見つけました。鏡を手に取り、中をのぞきこんで自分の顔を見ました。それがなんであるか知らなかった彼は、「あれまぁ、親父の写真じゃないか!」と思ったのです。それで彼はその鏡を買い、家まで持ち帰ったのですが、彼は妻がそれを見ることを望まなかったので隠しておきました。しかし、時々妻は、夫が密かにこの物体に見入っているのを見かけました。妻は、きっと自分のライバル、夫が町で出会った別な女の写真に違いないと思いました。それである日、夫が留守の時に、箱を取り出し、鏡を見つけました。妻は鏡を覗き込んで、自分自身の姿を見て、ほっと安堵の声をあげました。「この醜いババァは誰なんだ。こんな醜女、私の敵じゃないよ。」そして彼女はその2度誤解を受けた自己認識の鏡をかたづけたのでした。

私達は、ありのままの自分を目にした時、それが自分であると気づくことはめったにありません。自己認識は、ただ上っ面を眺め、自分のイメージに反応するというよりももっと厳しく、もっと洞察を必要とするものです。完全を求めるならば、実際に自己認識にいたることが不可欠です。キリスト教の伝統は常に、神を知るためにはまず自分を知らなければならないということを強調しています。聖アウグスティヌスは、「あなたを知ることができるようにするために自分を知ることができますように」と祈りました。自分を知ろうとする時には、自分自身になることが単純にできなければなりません。それは、私達の不完全さ、ありのままの自分が辟易とするほど他人と似ていること、自分に固有の汚点というものをも含みます。ありのままに自分を受け容れることができて初めて完全さの贈り物を受け取る力が備わります。したがって、瞑想の中では何よりも、自分をあれこれ他人や特定の社会的イメージ、商売上のイメージと引き比べて、自分は成功例だとか失敗例だとか判断しないで、単純にあるがままの自分になろうとするのです。

人間の行うことの中で最も単純でありながら最も重要なことを瞑想はどのように成し遂げるのでしょうか。それは、私たちを今という瞬間の中にしっかりと位置づけることで成し遂げます。今という時に在ることができるようになる術を教えることによって、ただの自分になることを教えるのです。今在ることができるようになるにはしばらく時間がかかります。しかし日々2度の瞑想の時間の間にそれを身に付けながら、この自然な術を人生の残りの期間の中へと持ち込むのです。瞑想の成果の一つは、あらゆる行い、あらゆる状況の中にますます存在することができるようになることです。この微妙ではありますが欠けているものを補い、完全にするやり方で、瞑想はあなたの人生を変えていきます。。。。

瞑想をしていると、私達は自分で自分を完全にするのではないと教えられます。そしてそれによって私達は完全へと至るのです。いかなる技術も、いかなる獲得物も、いかなる財産も私達を完成してはくれません。瞑想をしていると、この切望される完全さは、何かを手に入れることによってではなく、何かを失うことによって見出すのだという、偉大で普遍的な霊的知恵を教えられます。私達はそれを失います、私達は、マントラを単純に唱える作業の中で、あの複雑で占有欲の強い自我を越えて進化していくのです。マントラは、自分の命を見出したい者は、それを失わなければならないというイエスの基本的な教えに呼応します。

クリスチャンの視点においては、私達は、手放すことでイエスの完全さに入り込むのです。イエスの復活した命は、私達の内部にあるイエスの聖霊の中にまるごといてくださるのです.瞑想の道はすべての人に開かれていますが、それはすべての人がこの完全なる聖霊の恵みを受けているからです。瞑想の道にあってはすべての人間が平等です。そしてすべての人間が完全さへと招かれているのです。これが福音の本質的な真理なのです。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
>>>>> 30
分間瞑想 <<<<<

覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
瞑想の後で
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
Olivier Clement THE ROOTS OF CHRISTIAN MYSTICISM (London: New City, 1995 ), p. 249.に引用されたSt Augustine of Hippo,"Sermons 23, 7,

汝らの神の到来を恐れるな、神の友情を恐れるな。神は、来た時に汝を狭い場所に閉じ込めるようなことはしない。逆に汝らを大きくしてくださる。神が汝らを大きくしてくださることを汝らがわかるようにするために、「私は彼らとともに住む」と、来臨を約束してくださったばかりか、「私は彼らとともに歩む」と汝らを大きくしてくださることをも約束してくださったのだ。だから、汝らが愛すれば、どれほどの場所を神が賜るかがわかるだろう。恐れは我々を抑圧する苦しみである。しかし愛の大きさを見よ。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
この栞はあなたの個人的な使用のためだけに提供されています。(引用される文書は色々な理由で繰り返されることがあります。)将来利用するためにハードディスクに保存してもいいですし、別な機会に読んだり、他の人と共有するためにプリントするのもよいでしょう。

日本語の瞑想の栞をメールで受け取りたいという方はこちらにご連絡ください。
++++++++++++++++
日本語のWeekly Readings (瞑想の栞)翻訳・監修責任
WCCM
日本語WEBサイト コオーディネーター 黒宮康明
E-mail
info@esuk.net