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定例瞑想会
日曜日
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Weekly Readings 瞑想の栞2004年6月20日
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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John Main, "Make Nothing Happen「無を生じせしめよ」," WORD MADE FLESH 「肉とされた言葉」(London: Darton, Longman, Todd, 1993), pp. 20-21.

仮に外形的な礼拝儀式がすべてであるとするならば宗教は無意味なものです。礼拝式などの儀式は、回心による霊的高まりが伴う場合に限って意味をもちます。これが、私達が静止できるようになるにつれて向かっていくものなのです。静止の中にいると、一つの気付きが次第に熟成されてきます。神はイエスにおいて御自身を人類に顕された、そしてイエスは、私たちの内に内住させるためにお遣わしになった御霊によって、私たちの心の中で、御自身を私たちに顕して下さっていると気づくのです。礼拝式ばかりではありません、私たちの生命も、この御霊に自らを可能な限り開いた時に意味を見出すのです。

外から見ると、瞑想は、すべての感覚の扉を閉ざした、ただの静的状態であるように思われがちです。しかし実際に体験すると、瞑想はそのような静的状態の対極にあるものと分かりますし、私たちがもつ成長に向けての潜在能力の豊かな完全さに対し躍動的に目覚めることなのだとはっきりとよく理解されます。イエスの愛の中における私たちの精神の広がりがこの豊かな完全さです。素朴に、子供のように信頼し、驚きに心を開く、それがこの豊かな完全さを実現する方法です。何かが起こるのを捜し求めているのではありませんし、何がしかの洞察や知恵を求めているのでもありません。また何か表面的な、あるいは外的な現象を分析しているのでもありません。そういうものはすべて、一時的で一過性のものであり、私たちの内に内住する聖霊を知ることに較べれば、瑣末なことでしかありません。そしてその聖霊は、一時的で一過性のものから、永続するもの、すなわち神、そして私たち一人一人に対する神の愛へと意識をふりむけた時に表れてくるのです。

毎日瞑想することが絶対的に必要です。瞑想と霊との関係は、食べ物や空気と肉体との関係に等しいものです。神の光の中で生きたいというのであれば、平安、平静、真実のヴィジョンを抱く能力というものにたどり着かねばなりません。何度も何度も繰り返し福音は語っています。その光は私たちの心の中で輝いているのです。だから私達は謙虚に、そして愛の中でその光に開いていけばよいのです。
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>>>>> 30分間瞑想 <<<<<
覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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Willigis Jager, SEARCH FOR THE MEANING OF LIFE: Essays and Reflections on the Mystical Experience (Liguori, MO: Triumph Books, 1995), p. 75.

宗教はガラスの窓に喩えることが出来るかもしれない。それは内側から照らされない限り暗いままである。光そのものは、目に見えないものであるが、宗教という窓の中に入ると、光も形を持つようになり、誰の目にもそれと理解できるようになる。多くの場合に、宗教には、信徒をこの窓の形にはめ込もうとする傾向がみられるのだが、絶対的なものは窓ではなくてその背後で輝いている光なのである。あらゆる形をもつものの背後で輝く光が見える者だけが、宗教の意味そして終着点を理解できるのである。
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この栞はあなたの個人的な使用のためだけに提供されています。(引用される文書は色々な理由で繰り返されることがあります。)将来利用するためにハードディスクに保存してもいいですし、別な機会に読んだり、他の人と共有するためにプリントするのもよいでしょう。

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