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日本語監修センター
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定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

水曜日
午後6時半-7時半
京都市上京区
西陣カトリック教会


The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org

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Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings - 2004
711
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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"Original Innocence”
(根源的無垢)

John Main
, MOMENT OF CHRIST (New York: Continuum, 1998), pp. 55-57.所収

「私たちはキリストの心を持っています」(1コリ2:16)この聖パウロの文はキリスト教の啓示の中でももっとも異例なものの一つです。以前にも言いましたが、仮に私たちクリスチャンに欠点があるとすれば、それは、イエスによって私たちのために成就され、与えられ、もうすでに私たちのものとなっている、桁外れな富に対して盲目となっていることです。私たちはキリストの心を有しているのです。父を知り、私たちを知っているキリストの心を。私たちは、知られているが故に知り、そして愛されているが故に愛するということを一人ひとりが自分で知るよう招かれているのです。聖ヨハネは書いています、「私が話しているのは、私たちの神への愛ではなく、神が御子を送る中で私たちに見せてくれた愛です。」(第1ヨハネ4:10

大いなる真理というものはすべて単純そのものです。単純になって初めて真理を知ることができます。瞑想のために腰をおろし、自分の言葉、すなわちマントラを言い始めるのは、その単純さに向かうことなのです。自分の存在全体がその上に宿る土台へと向かうのです。一つとなるのです、イエスと一つとなる。。。これが聖パウロの言葉の霊感であったし、今もそうなのです:

「自分が何者であるのか、その人の内なる霊以外一体誰が知っているだろうか。同様に、神が何者であるかは神の御霊のみが知っている。私たちは神からその霊を受け取ったのであって、それはこの世の霊ではない。それで私たちは、神がその恵みによって私たちに与えられたあらゆるものを知ることができるのだ。」(1コリ2:11-12

それぞれが自分の経験から、神がその恵みによって与えてくださるものをすべて個人的に知ることができるのです。そのように、私たち一人ひとりが招かれているのです。その知識への道は忠実の道、つまり自分の瞑想に対する日々の忠実です。生きている限り、忠実に毎朝、そして毎晩、一過的なるあらゆるものから離れ、永遠なる神の御霊に開いていく。またそれは瞑想の間の忠実の道でもあります。自分の言葉、すなわちマントラを忠実に、はじめから終りまで、いかなる思念をも追わず、聖句や言葉の螺旋にはまることなく、次第に深まる単純さの中で唱えるのです。

これをする力は与えられています。それはイエスの愛の力です。聖パウロが私たち一人ひとりに知るように求めているように、「もちろん皆さんは、自分が、神の聖霊の宮であることを知っています。」(1コリ3:16) 私たちは瞑想の中で、この世にある仲で可能な限り一杯に、自分の中に宿る神の聖霊に開いていく道を探し求めているのです。
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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Pseudo-Macarius, "Homily I," AN ANTHOLOGY OF CHRISTIAN MYSTICISM , ed. Harvey Egan (Collegeville, MN: The Liturgical Press, 1996), pp. 83-84.

というのも聖霊との交わりの中に入る特権を与えられている魂は、、、すべて光、すべて顔、すべて目となる、そしてその魂には、光の霊的な目に満たされていないところなどまったくない。。。炎、炎の光そのものが、どこをとっても、その中に始まりもなければ終わりもなく、より大きなところもなければまた欠けるところもない、まったく同質なものであるように、キリストの光の、言葉にはならない美に照らされる魂もまた、、、すべて目、すべて光、すべて顔、すべて栄光、全て霊となる、それは、常に魂を先へと進め、導き、運び、生み出し、霊的美の光彩を与えてくださるキリストがそうしておられるからである

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この栞はあなたの個人的な使用のためだけに提供されています。(引用される文書は色々な理由で繰り返されることがあります。)将来利用するためにハードディスクに保存してもいいですし、別な機会に読んだり、他の人と共有するためにプリントするのもよいでしょう。

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