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日本語監修センター
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定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

水曜日
午後6時半-7時半
京都市上京区
西陣カトリック教会


The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
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International Office:
+44 0207 278 2070
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Weekly Readings - 2004
88
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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John Main OSB, "I Am as I Am," WORD MADE FLESH (London: Darton, Longman & Todd, 1993), pp. 40-41
から抜粋。

マントラを唱える謙虚さ、忍耐そして忠誠心がありさえすれば、存在するあらゆるものの中に十分に入り込むことができます。これが、います神、今いまし、常にいましすべてなる神の臨在性の神秘です。時間に縛りつけられた言葉に頼る限り、また自我に縛りつけられた欲望と想像に駆り立てられている限り、この神秘への入り口を見つけることは永久にできません。今という瞬間へと入り込ませ、自我のかなたへと導きいれてくれるマントラであればこそ、神の都市への狭き門の中へと滑り込むことができるのです。。。

もちろん、こういうことを口にするのは簡単なことです。それを理解するとなると、まったく別の問題ですし、理解力そのものが人間の認識の有限性と二元性によって厳しく制約されています。にもかかわらず理解力はこの自分なる存在の中核的体験を指し示す道しるべのようなものです。人生に満足できるとすれば、この中核から生きた場合に限られます。仮に神が神であることに満足しているとするならば、私たちが何か他のものになろうとする必要があるでしょうか。神は、自らを授ける愛の創造性です。祈りは単に、私たちの存在の、もっとも深く、もっとも現実的な中心、自分が単に自分自身である中心におけるあの創造的な力への完全なる感受力なのです。ここでは、いかなる努力も、自己投影も、罪の意識あるいは恥、あらゆる心の動きを超えたところで、存在するただおひとりなる方に知られているという認識の中に爆発的に入り込むのです。

ひょっとしたら、十分な瞑想経験があるので、大事なのは思念や感覚ではないとわかっているかもしれません。私たちの魂の中心としての神が大切なのです。自分の中心を見つけ出すというのは、神を見つけることを意味します。しかし、これでは一面的な表現でしかありません。瞑想は、同様に神に見つけられることでもあるのです。静止によって言葉の一面性超えた沈黙の中へと入ることができます。その結果、内面の均衡が回復される、そうなって初めて言葉を厳密にそして正しく使うことができるようになるのです。しかし、自分の存在のもっとも深い次元で神を見出す中で、神が私たちを見出すことができるようにするために静止しています。これが、日々の瞑想への、そして瞑想の間のマントラへの忠誠がすべてである理由なのです。私たちは、この極めて重要な時に、神について考えてはいけない、神を想像してはいけないのは、単に神は臨在しておられるからだということを知っています。神は、ただ単に見出されるためだけにではなく、愛されるためにここにいます。そして 愛の中で、考えが消えるにまかせるのです。

私は確信しています、死にも、命にも、霊や超人間的な力の領域にも、現在の世界にも、未来の世界にも、宇宙の中の力あるものも、高みにいるものも、深みにいるものも、いかなる被造物も、私たちを我らの主キリストイエスにおける神の愛から引き離すことはできないのです。(ローマ8:38-39

とすれば、自分の雑念にめげてしまう必要がどこにあるのでしょうか?
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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Sufi Narrative, noted in Willigis Jager, SEARCH FOR THE MEANING OF LIFE (Liguori, MS: Triumph Books, 1989), p. 267.

「たずねてくれ」とその修道士は私にまた請い求めた、「彼らはどうやって神の前に出る用意をするのだ。断食か?」
「とんでもない」と若いダルウィーシュ(イスラム修道僧)が笑いながら答えた。「ものを食べ、飲み、そして神を讃えるのだ。」

「踊り」と長い白髭をした一番年上のダルウィーシュが答えた。
「踊り?」とその修道士が尋ねた。「なぜ?」

「踊りが自我を消し去ってくれるからだ」とその老ダルウィーシュが答えた。「自我が消え去れば、神と一つになる障害は何もなくなる。」

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