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Weekly Readings - 2004年8月15日
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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聖ベネディクトは修道僧たちに、「常に死を眼の前に置いておきなさい」と教えました。現代世界においてはあまり死について語ることはありません。しかしキリスト教の伝統全体が教えていることは、いやしくも叡智を得ようとするならば、ここ地上には「永遠の都市」などはないという教訓を学ばなければならないということです。遠い昔の、そして今日の賢者達は語ります。命に焦点をあわせるためには死に焦点をあわせなければならないと。死について語ることは世俗の人々には理解しがたいことです。実際、世俗はまったく反対の観点から夢想します。死すべき定めにある人間の叡智ではなく、肉体の弱さの彼方に不死を夢想するのです。
しかし聖ベネディクトが代表する伝統の叡智は、人間の肉体の弱さを知ると、霊的なもろさも見えると教えます。私達全員が非常に深い意識をもっています。あまりに深いのでほとんどずっと埋もれたままになっていることが多いものなのですが、私達には、命の豊かさ、そして命の源に接しなければならないという意識があります。私達は神の力に触れ、何とかして私達のもろい「現世の器」を、神の永遠の愛に、絶対に消されることのない愛に開いていかなければなりません。
瞑想は、力の道です。私たちが死ぬ定めにあることを悟らせてくれるからです。自分の死を見つめさせてくれる道です。それができるのは、瞑想が私たち自身の死を超える道だからです。それは死を超え復活へ、新たな、永遠の命へ、神と一つになることによって生まれてくる命へといたる道なのです。キリスト教の福音の本質は、今日只今、その経験へと招かれているということなのです。私達は皆、自分の尊大さに、自己中心主義に、自分の限界に対して死ぬよう招かれています。自分の排他性に対して死ぬよう招かれています。私達がこのすべてに招かれているのは、イエスが私達の眼の前で死に、死者の中からよみがえられたからです。死への招きは同時に、新たな命へ、コミュニティへ、コミュニオンへ、恐れを知らぬまったき生命へよみがえれという招きでもあるのです。多分、人々が何をもっとも恐れているのか、死なのか、あるいはよみがえりなのか、見極めることは難しいだろうと思います。しかし瞑想の中で、恐れはなくなります。なぜなら、死とは恐れに対して死ぬことであり、よみがえりとは、新たなる命へと上昇することだと悟るからです。
瞑想に座るたび、この死と復活の軸の中に入ります。それは瞑想の中で自分自身の命を、そして命の限界を超えて、神の神秘の中へと立ち至るからなのです。そして気づきます。一人一人が自分の経験から。神の神秘とは愛の神秘、無限の愛の神秘、恐れをすべて打ち払ってくれる愛の神秘であると。
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>>>>> 30分間瞑想 <<<<<
覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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ローマの信徒への手紙14:7-23、「死とよみがえり」p.70
私達の中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。私達は生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。したがって、生きるにしても死ぬにしても、私達は主のものです。
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日本語のWeekly Readings (瞑想の栞)翻訳・監修責任
WCCM日本語WEBサイト コオーディネーター 黒宮康明
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