Home

前週の栞

日本語監修センター
075-862-7114

定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

水曜日
午後6時半-7時半
京都市上京区
西陣カトリック教会


The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org

The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
Weekly Readings - 2004
95
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
"The Gift of Our Being"

A selection from Laurence Freeman, OSB, LIGHT WITHIN

最大の賜物が私達のそんざいです、私達が存在しているという単純な事実そのものです。これが第一のそして根本的な賜物です。もし、それに気づかない、というのはすなわちそれを受け取る事ができないということを意味するのですが、もしそうだとするならば、その場合は、自分のところに何かがやってきたとしても、何一つとして自分の物となることはありません。この賜物を受け入れることが、十分にそして完全に生きているというための最初の、不可欠なステップなのです。

瞑想しているときは、この賜物を受け入れようとしているのです。瞑想は、行いというよりもむしろ存在にかかわります。とはいっても、これは、一つ概念としても、なじむのに長い時間がかかりますし、ましてや一つの体験として受け入れるにはさらに長い時間がひつようです。。。。しかし持続すれば、感覚が浄化されていきます。存在することができるようになれば、つまり自分自身の存在という賜物を受け入れることができるようになれば、真の満足を見出すことができます。欲望や、落ち着きのなさ、そしてそれらの熱情の作り出すありとあらゆる心象を捨てていきます。そうすれば、もちろん私達の行いそれ自体が瞑想によって根源的に浄化されていきます。生き方、生活の質、人間関係の寛大さ、こういうものがすべて、存在できるようになるになり、自分の存在という賜物を受け入れることによって手に入ってくる新しい理解によって次第に変質していきます。

そのすべてが、私達の霊における成長の過程なのです。それは一瞬に起こる経験ではありません。だから瞑想を始めるときに、何かの経験を求めてはいけないし、絶対に何かの経験を作り出そうとか、擬似的に体験しようなどとしてはいけないのです。それは、コップ一杯の水の中の不純物が次第に沈殿していくことに似ています。最初のうちは、不純物全体がぐるぐると回って、水を曇らせ、不透明にしていますが、コップに何も手を加えず、コップが動かないようにし、不純物が沈殿するにまかせていれば、水は自分で静止し、透明に透き通るようになります。水を透かして見れば、水の純粋さ、水の透明さがいかに美しいかに気づき、単純が実はどういうものなのかがわかります。水は不透明な間は反射しますが、澄んだ後は向こう側が見えるようになるのです。

まず覚えなければならないのは、自分を落ち着かせる、静止することです。私たちは誰もみな曇っています。みな自分のことばかりを考え、反射しています。意識を澄ませなければなりません。これが瞑想の単純化の過程、すなわち自分の存在の純粋な中心で静止するということなのです。これは本当に静止することを意味します。ただ単に静止していることについて考えたり、あるいは、仮に静止でき、もっと霊的になれたらどれほどすばらしいことだろうといったりするのではなく、実際に静止し、やがて行動のすべてが、その静止状態との調和から流れ出るようにするということです。静止の中にあると精神が澄み渡ります。精神が純粋になり、透明になります。そうなると、私たちの内にその霊が内住する神が、ちょうど水を通して輝く陽光のように、私たちの精神を通して輝くのです。これが、私たちが心の純粋と呼ぶものなのです。これが私たちに神を見させる意識の透明さなのです。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
>>>>> 30
分間瞑想 <<<<<

覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
瞑想の後で
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
A selection from Walt Whitman, “Song of Myself,” LEAVES OF GRASS (New York: Holt, Rinehart & Winston, 1964), pp. 74-75.

そして私は思う、、、神についてあれこれ知りたがっちゃいけない、
だって、一つ一つのことについて知りたがるこの私が、神には好奇心を持たないから
(どんなに言葉を尽くしても、神に関し、そして死に関し私が心穏やかであるかを語ることはできない)

あらゆるものの中に、神が聞こえ、神が見える、それにもかかわらず私には少しも神がわからない、
一体どうして自分以上にすばらしい人が存在し得るというのか、私にはわからない。
どうして、今日以上に神をよりよく見たいと思うのだろう?


24
時間毎時間、いやすべての瞬間に神の片鱗を見ている、
男たちや女たちの顔の中に神が見える、鏡に映る自分の顔にも、
神からの手紙が通りに落とされているし、あらゆる人に神の名前が署名されている、
でも私はそれらに手を触れない、わかっているから、私がどこへ行こうとも、
他の者たちが、、、やってくる、永遠に。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
この栞はあなたの個人的な使用のため、そして瞑想会で利用するために用意されています。皆さんご承知のように、WCCMの活動は、皆さんからの寄付で支えられています。センターへ寄付金を送っていただければ大いに感謝いたします。センターの住所は、
  The International Centre; The World Community for Christian Meditation
  St. Mark's,
  Myddleton Square; London EC1R 1XX; England, UK
  Tel: 020 7278 2070; Fax: 020 7713 6346

アメリカ合衆国ならば、
 the John Main Institute
 C/O Bob Lankford (JMI会計係),
 2490 18th, Kingsburg, CA 93631;
 JMIのアメリカ政府用税控除番号は 52-1735210 です。
 
Weekly Internet Medit@tion Group Leader:
Carla Cooper
WCCM Guiding Board & John Main Institute
Houston, Texas
+++++++++++++++++
これまでの瞑想の栞は
http://www.esuk.net/wccm/
+++++++++++++++++
日本語のWeekly Readings (瞑想の栞)翻訳・監修責任
WCCM
京都グループ 黒宮康明
E-mail
info@esuk.net