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前週の栞

日本語監修センター
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定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

水曜日
午後6時半-7時半
京都市上京区
西陣カトリック教会


The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
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The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings - 2004
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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An excerpt from Laurence Freeman, OSB, “Frequent Flyer,” The Tablet,
August 10, 2004.

トスカナのある日の午後、乾燥した暑気の中、バスから数カ国のリトリート(瞑想会)参加者が降りました。ここからはゲストハウス、そして修道院まで急峻な細道を歩いていかなければなりません。この細道は謎めいています。細い、大昔からのテラコッタ(素焼きの)レンガでできているのですが、その多くが砕け散っていたり、なくなっていたり、新しいのにつけかえられていたり、、、。踏みならされた細道を慎重に下っていくと、森に覆われた渓谷越しの景色が見えてきて、ジネストラの刺激的なにおいが鼻を刺します。荷物を落とさぬよう用心しながら、部屋や食事はどんなんだろうと心配したりしています。でも、誰も、もうロンドンやヒューストンやシンガポールやジュネーブのことなど忘れていますし、驚いたことに、すでにまるで家にいるような落ち着きを感じ始めているのです。到着したのです。

私はこういう光景を、オリベト・ベネディクト会の母屋であるモンテ・オリベト・マジオーレでの毎年恒例のキリスト教瞑想会の黙想会に初めて参加する人々の反応を、もう15年間見てきました。シエナのすぐ南のこの場所の、まじりっけのない物理的な美しさは、ちょうど本当に美しい人に紹介された時のように、最初のうちは心を乱すものがあります。素朴な事実として、穏やかにそこにあるということ、この場所のもつ自信、そしてここに生活する、白い修道服に身をまとった僧たちがいかにもしっくりと落ち着いているさまには、なれればなれるほどますます驚かされます。これほどまでに、安住(訳注:カトリック修道士の定住の誓いをさす言葉、stabilityが使われています)、調和、歓待が一つに結び合わさった感覚として存在している場所は、現代世界に多くはありません。初めての人は、こんなにもこの人たちの安住の地となっているのだから、自分はどうしようもなくよそ者でしかありえないだろうと思うかもしれません。しかしやがて、ここにいると誰でもが家にいるような気持ちにさせられる、つまり、手放し、自分自身となる、自分が誰であったかを思い出すことができる場所だとわかります。

宗教的原理主義の時代に、いろいろな考えや文化の人々を受け入れてくれる、深く宗教的な環境を見出すと心を開かれるものがあります。ここでは、相違点があればすぐに飛びかかってきたり、承認のレッテル、あるいは排除のレッテルを貼り付けたりということはありません。キリストやアッラー、あるいはヤーウェの名の下に厳しく裁いたり非難したり、罪を赦したりもありません。多分、人々をこんなにも家にいるような気持ちにさせるのは、美しい自然、まったく見ず知らずの人とともに瞑想する中で見出されるすばらしい友情、長い歴史の中で一度も断罪されることも濁ることもなく、脈々と生き続ける伝統の中に一緒にいるということ、そういうものに取り囲まれている中で、肉体と精神とが結ぶ友情なのだと思います。

Rievaulx
Aelredが勇敢にも言いました。神はただ愛だけじゃないと。神は自分と、他人と、そして環境との友情なのです。友情の中にいない人には、特に、神の敵に対し神を守っているという冷酷な確信の中にいる宗教的原理主義者たちには、神などまるでわかるはずがありません。しかし、この細分化された社会を特徴付ける不安なホームレス状態のおかげで、原理主義などよりもはるかに深い、瞑想的帰巣本能が目覚めています。このような場所にいると、神を求める帰巣本能が、人のぬくもり、寛容、歓待、そして穏やかな宗教の中で強められていきます。結びついているという感覚、相互の信頼感を求める気持ち、分離ではなく共同体を育む宗教を求める気持ちは、現代の霊的探求の一部をなすものです。そしてきっと、本当の臨在の意味は、相違を持ちながらもうちとけている(家にいる)という、包含的で包容的なものなのです。

700年前に、ベルナルド・トロメイという裕福なシエナの貴族が神を求めてこの地にやってきました。その時彼は、当時はまだ危険な荒地でしかなかったところと引き換えに快適な家を捨てたのでした。彼は祈りに満ちた孤独の中で生活していましたが、仲間が増えてくると、ベネディクト会規則を採用しました。その時代のジョーン・チッティスターのような人であったシエナの聖カトリーヌは、司教や教会を、生ぬるい、裕福な家から修道士を受け入れすぎだと言葉激しく攻撃した時に、彼のことも激しく非難しました。それで彼は従順に自分の仕事の基盤を広げたのでした。。。。疫病がシエナを襲った時、彼はこの新しい瞑想の家を離れ、故郷の町で瀕死の病人たちの介護に当たりました。そして間もなく、自分も病気になりこの世を去ったのでした。彼の旅の行程を見れば、家にいるという穏やかな感覚は、決して一つの場所に閉じこもるということではないということ、そして、手放せば手放すほどますます家にいることができるということがはっきりとわかります。もし本当に、自分を神の中において、家にいるのであれば、あらゆる場所で、平和と慈愛の中で家にいるとわかることでしょう。

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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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an excerpt from Julian of Norwich, Chapter 67, REVELATIONS OF DIVINE LOVE (London: Penguin, 1966), p. 183.

それから主は、私の霊的な目を開いてくださり、私の心の真ん中にある魂を見せてくださいました。魂は、まるで永遠の世界であり、かつ祝福された御国であるかのように大きなものでした。その状態をみれば、とても栄光あふれる都会であることがわかります。その真っ只中に主イエスが御座しておられたのです。まったくふさわしい平和と安息のうちに、魂の中で限りない栄光を帯びて座っておられました。。。そして、私たちの魂の中に永遠に持っておられるその場を主がお捨てになるということもありません。。。というのも、私たちの中にいるということが、主にとっては、完全にくつろいで家にいるということなのですから。
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この栞はあなたの個人的な使用のため、そして瞑想会で利用するために用意されています。
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日本語のWeekly Readings (瞑想の栞)翻訳・監修責任
WCCM
京都グループ 黒宮康明
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