Home

前週の栞

日本語監修センター
075-862-7114

定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

水曜日
午後6時半-7時半
京都市上京区
西陣カトリック教会


The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org

The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
Weekly Readings -2004
117日号
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
A selection from John Main, OSB, “At One with the Light,”  THE HEART OF
CREATION (New York: Continuum, 1998), pp. 45-47.

瞑想の目的をあらわす為に用いられる言葉の一つに「悟り」(英語は「光を注ぐ」を原義とするenlighten(啓蒙する)の名詞形)というものがあります。私たちは「悟る」(同じく英語はenlightenの受動態)ために瞑想をするのです。聖ヨハネはキリストの再臨の目的を暗闇を追放することと述べています。。。光はとても強いので暗闇はそれに勝つこと、光を消すことはできないと言うのです。

しかしこの世にはいまだに多くの暗闇があります。日々、ひどい不正、暴力、憎悪、…狂気の破壊主義的行動を見聞きしています。それも、個人的レベルにおいて、また、政治的レベルで、国内の隣人同士の間で、また国外の隣人同士の間にこういうものがすべてあるのが見えます。しかし、自分の中に残っている暗闇に気づいている人は余り多くはありません。自分自身にも暗い側面が、恥ずべき次元で卑しい生き様を、それと知りながらもなおすることができる、そういう自己否定的能力があるということを認識しなければなりません。。。。瞑想を始めるとすぐに、自分の存在の一部だけではその経験の中に入れられないと分かります。自分という存在のありとあらゆる部分、自分の全存在が、完全そのものへと入り込むこの経験には必要です。それによってはじめて私たちは自分の個人としての完全と調和を実現するのです。

それをまた別な言い方で表すならば、いまだに暗がりの中に置かれている部分が、キリストの光に向けて開かれなければならないのです。全ての隠された部分が光の中に入らなければなりません。。。その理由をのべます―瞑想は、それによってその光を見ようとするプロセスではありません。この世にある限りその光を十分に完全に見ながらなおこの世にいき続けることはできないのです。この世における私たちの関心は、光に私たちを見ていただくこと、光に私たちを探っていただき知っていただくべきなのです、つまり悟りを授けられるべきなのです。瞑想とは、それによってその光の中に入り込むプロセスなのです。このプロセスを辿り続ければ、この光の力によって、自然に、あらゆるものが、複雑に絡み合った命の全体が見えるようになるのです。じゃ、この光とはなんなのでしょう。この大いなる霊的象徴は何を意味するのでしょうか。私たちに悟りを与えてくれるものとは一体何なのでしょうか。イエスは、この「光」と呼ばれる力は愛であると教えています。

瞑想の道は単純そのものです。命のある限り毎朝、そして毎晩そのために時間を作りさえすればよいのです。その時間、その光、すなわち神、すなわち愛に対して自分を開かなければなりません。これを実践することは、自己中心的な悟りを得ていない意識からの根源的な回心となることでしょう。自分について考えない、色々な計画を作らない、そういう様々な意識の活動から離れて、常に深まりゆく沈黙の中へ、存在の常に深まり行く敬虔の中に入るのです。それが神に根ざすということなのです。肉体もこのプロセスには深くかかわります。ひとりで、あるいは一緒に瞑想する時、その間ずっと静かに座る、文字通りまったくの静止状態に入るべく真剣に努力しなければなりません。これは内面の回心の肉体的兆候なのです。ある意味、肉体を捨てるということなのです。

そして目を閉じ、そっと自分の言葉、マントラを平和のうちに、静かに、自分の存在のあらゆる部分を神との共鳴の中で唱え始めるのです。マントラがこの現実を実現してくれます。そして、その共鳴の中に入り込む時、私たちは愛の光の中に入るのです。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
>>>>> 30
分間瞑想 <<<<<

覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
瞑想の後で
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
E. Easwaran
英訳the Shvetashvatura Upanishad (Tomales, CA; Nilgiri Press, 1987), p. 223.

慈悲そのものであり
あらゆる生き物の心の中に
住まいする、偏在の、愛なる主は、すべての顔をご自身に向けさせる

彼こそ至高の主であり、その恵みによって
私たちをして自分の心の中に主を探し求めさせてくださる。
彼こそ永久に輝く光である。

彼こそ万民の内なる「我」であり
心の中の小さな灯火の如く隠されて在る
静止され、澄まされた精神によってのみ彼は知られることができる。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
この栞はあなたの個人的な使用のため、そして瞑想会で利用するために用意されています。皆さんご承知のように、WCCMの活動は、皆さんからの寄付で支えられています。センターへ寄付金を送っていただければ大いに感謝いたします。センターの住所は、
  The International Centre; The World Community for Christian Meditation
  St. Mark's,
  Myddleton Square; London EC1R 1XX; England, UK
  Tel: 020 7278 2070; Fax: 020 7713 6346

アメリカ合衆国ならば、
 the John Main Institute
 C/O Bob Lankford (JMI会計係),
 2490 18th, Kingsburg, CA 93631;
 JMIのアメリカ政府用税控除番号は 52-1735210 です。
 
Weekly Internet Medit@tion Group Leader:
Carla Cooper
WCCM Guiding Board & John Main Institute
Houston, Texas
+++++++++++++++++
これまでの瞑想の栞は
http://www.esuk.net/wccm/
+++++++++++++++++
日本語のWeekly Readings (瞑想の栞)翻訳・監修責任
WCCM
京都グループ 黒宮康明
E-mail
info@esuk.net