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前週の栞

日本語監修センター
075-862-7114

定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

水曜日
午後6時半-7時半
京都市上京区
西陣カトリック教会


The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org

The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings - 2004
年月1128
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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John Main OSB, “Purity of Heart,” WORD MADE FLESH (London: Darton, Longman & Todd, 1993), pp. 59-60.

人は皆、かつて享受していた、単純で、無垢で混じりっ気のない善の喜びの状態から生まれています。これが生命に対する本当に宗教的な応答の基盤です。これは、生命の神秘の...不思議に気づき始めた子供の真剣なまなざしの中に見ることができます。瞑想が私達みんなにとって大切なのは...、その単純化する力によって...、私達を再びこの宗教体験へといたる真剣な行脚の中へと引き入れてくれるからです。

真剣という言葉は、瞑想の中では神を自分の目的にそうように操ろうとはしないということを意味します。神を自分の生活の中に巻き込もうとして卑下するのではありません。そうではなくて、神が私達の生命に関わっていてくださるという驚きに満ちた不思議を発見するのです。 それを、マントラを唱え、静止と沈黙にいたり、欲求を超越し、心の純粋に到達することで実現するのです。そうなった時、私達はただ単純に、最も純粋で、最も親密な自己啓示に対して開いています。しかしこうなるためには自分のすべてが必要です。

愛によって支えて下さる力として自分の中にいてぐるりを取り囲んでいる神の存在に開いているのです。私達は、その愛によって清め、愛の無限の源から際限なくあふれ出でる活力によって新しい人としてくださるお方の存在の中で生きています。この愛が私達の傷や欲望や幻想、自己中心主義に出会う時、それは赦しと呼ばれます。

マントラを唱える時心の純粋を忘れてはいけません。瞑想の都度、最初から最後までマントラに忠実であれば、この単純さと無垢さの中に入ることができます。なぜならそれによって自我を離れることができるからです。キリストを公然とほめたたえる自信、これを今日いかになすべきかを理解するのに必要な思慮深さ、そして自分自身の経験からキリストの証人となる勇気は、日々の瞑想とマントラへの忠実さから生まれてきます。

私達の心の中で輝いているのはキリストの栄光そのものに他ならないのです。その栄光は決して勝ち誇るものではありませんが、人生の様々な傷により固くされた心を勝ち取ります。貧困、純粋、単純は、偶像や暴力という価値観の上で育成された精神にとっては不思議な武器でしかありません。しかし私たちの生存は、精神的にも物理的にも、これらの人間性の特質のあがないの力への気づきを取り戻さなければかないません。。。「というのも、「闇から光よ輝き出でよ」と言ったのと同じ神が私たちの中に神の光を輝かせて下さっているのですから」(2コリ 46
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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Rumi, “The Masnavi, Book IV, THE SOUL OF RUMI, tr. Coleman Barks (
New York: HarperCollins, 2002), p. 382. から抜粋

小さな蟻
が紙の上を動き回る筆を見てその神秘を他の蟻に
伝えようとする。「すばらしいものだったよ

切っ先がねバジルの葉やバラやユリの花壇を

描いていくんだ。」別な蟻

が言う、「でもな、本当の芸術家は指だよ。ペンはただの
道具さ」

また別な蟻が、「でも考えてみろよ。その指を力づくで動かす腕が
その上にあるんだぜ・・・」

議論は続く、どんどん上へ、そしてついには首領の蟻が言う
「いかなる偉業も

形をもった物に由来するのではない。すべて生けるものは
眠りと死において意識がなくなる。

形は精神の衣服にすぎない。」しかしこの賢い蟻ですら
そこを流れているものを

見落としている。神に一言も触れていない。神がいなければ
いかなる知性も愛も

そして精神もはたらくものではない
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