|
前週の栞
日本語監修センター
075-862-7114
定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会
The International Centre The World Community for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK International Office: +44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org
|
The World Community for Christian
Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
Weekly Readings --2006年11月19日号
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
物理的には他の瞑想者達から離れていても、聖霊の中で結ばれています。瞑想が一日の時間の流れの中に組み込まれるように、毎朝そして毎晩、同じ静かな場所、同じ時間に30分間瞑想しなさい。時間をたっぷりと取りなさい、そして忠実にマントラを唱えなさい、そして私たちすべてを聖霊において一つのものとしている沈黙のネットワークに入りなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
John Main OSB, "The Silence of Love," WORD MADE FLESH (London:
Darton, Longman, 1993), pp. 29-30.
言葉というのは、この神秘の深さを説明するにはあまりにも弱いものなのです。だから、瞑想の絶対的な沈黙が究極的重要性を帯びるのです。私たちは神について考えようとはしません、神に語りかけようとはしません、いや、神を想像しようとはしないのです。神の永遠の沈黙に開かれたあの畏敬の念を起こさずにはいられない沈黙の中にとどまるのです。瞑想の中で、訓練を通し、日々の体験に教えられ、これこそが、私たちすべてにとっての本来の環境なのだと発見するのです。私たちはこのために創造されているのです。そして私たちの存在はこの永遠の沈黙の中へと栄え、広がっていくのです。
しかし、「沈黙」という単語自体が、すでにこの体験を正しくは伝えることができませんし、おそらく多くの人々を躓かせることになるでしょう。この言葉には音や言葉を奪われているという否定的な響きがあるからです。沈黙の瞑想は退行的なものではないかと人々は恐れてしまいます。しかし経験すればわかります。また伝統もそのように教えています。沈黙の祈りは、前言語的状態ではなく、後言語的状態、つまり、言葉がすでに言葉の領域、そして意識の領域の中で、そしてそれを超えて私たちに方向をさし示すという役割を終えた状態なのです。永遠の沈黙には何も欠けるものはありませんし、また私達から何かを奪うものでもありません。それは、まったく資格など必要のない無条件の愛の沈黙なのです。。。。
自分が愛されていることを知っている。だから愛する。瞑想は、この愛の循環を完成するものなのです。私たちの心の中にいてくださり、すべての人に対して愛である聖霊に身を開くことで信仰の旅路を始めます。そして信仰のうちに終わりを迎えます。なぜなら愛の中にある永遠のダンスには常に新しい始まりがあるからです。
信仰と愛は希望を生み出します。キリスト者の希望はイエスの真実に対する、そしてイエスの愛の現実に対する至高の確信です。この確信があるからマントラを唱えることができるのです。自分の欲するもの、自分の知っていること、そのすべてを手放します。。。貧困の放棄の中ですべてを手放すのです。そうして初めて私たちは、あの神秘、即ち愛の中で自由に旅立つことができるのです。。。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
>>>>>>>30分間瞑想<<<<<<<
腰をおろしなさい。身動きせずに背筋をのばしなさい。軽く眼を閉じ、リラックスして、しかし気を張り詰めて座りなさい。静かに、胸の中で、ただ一つの言葉を言い始めなさい。私たちは祈りの言葉「マラナタ」を薦めます。同じ長さの4音節として唱えなさい。自分で言いながら、その音を聞きなさい。やさしく、しかしとだえることなく言い続けなさい。何も考えたり想像したりしてはいけません――たとえ霊的なことであろうと、あるいはそうでなくても。いろいろな考えやイメージが浮かんできます。しかしそれらは流してしまいなさい。瞑想の最初から最後まで、ただひたすらあなたの注意を、謙虚にそして単純に、自分の信仰の言葉を言うことに向けなさい
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
瞑想の後で
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
THE BEST OF MEISTER ECKHART, ed, by H. Backhouse (New York: Crossroad, 1996),
p.138.
神の耳にいつも届いている祈りは誰の祈りであろうか。神を神として崇める者であれば、神の耳に届いている。しかし世俗の神々の代わりに神を崇める者は、神を崇めてはいない。神々を崇めているのであり、自分のほしいものを手に入れるために召使として神を利用している。聖アウグスティヌスの言葉でいえば、「あなたは自分の愛するものを崇める。真実の祈り、現実の祈りは愛そのものに他ならない。」
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
|