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日本語監修センター
075-862-7114

定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org

The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings ?2007
121日号
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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A selection from John Main, OSB, “At One with the Light,”  THE HEART OF
CREATION (New York: Continuum, 1998), pp. 45-47.

瞑想の目的をあらわす為に用いられる言葉の一つに「啓蒙」(英語は「光を注ぐ」を原義とするenlighten(啓蒙する)の名詞形))というものがあります。私たちは「啓蒙を得る」ために瞑想をするのです。聖ヨハネはキリストの再臨の目的を暗闇を追放することと述べています。。。光はとても強いので暗闇はそれに勝つこと、光を消すことはできないと言うのです。

しかしみなよく知っているように、この世にはいまだに多くの暗闇があります。日々、ひどい不正、暴力、憎悪、…狂気の破壊的行動を見聞きしています。それも、個人的レベルにおいて、また、政治的レベルで、国内の隣人同士の間で、また国外の隣人同士の間にこういうものがすべてあるのが見えます。しかし、自分の中に残っている暗闇に気づいている人は余り多くはありません。自分自身にも暗い側面が、恥ずべき次元で卑しい生き様を、それと知りながらもなおすることができる、そういう自己否定的能力があるということを認識しなければなりません。。。。瞑想を始めるとすぐに、自分の存在の一部だけではその経験の中に入り込むことができないと分かります。自分という存在のありとあらゆる部分、自分の全存在が必要です。。。。

それをまた別な言い方で表すならば、いまだに暗がりの中に置かれている部分が、あの光に向けて開かれなければならないのです。全ての隠された部分が光の中に入らなければなりません。。。その理由を今から述べます。瞑想は、光を見る手段ではありません。この世にある限りその光を十分に完全に見て、それでもなおこの世にいき続けることはできないのです。この世における私たちの関心は、光に私たちを見ていただくこと、光に私たちを探っていただき知っていただくことなのです、つまり啓蒙を得ることなのです。瞑想とは、それによってその光の中に入り込むプロセスなのです。このプロセスを辿り続ければ、この光の力によって、自然に、あらゆるものが、複雑に絡み合った命の全体が見えるようになるのです。じゃ、この光とはなんなのでしょう。この大いなる霊的象徴は何を意味するのでしょうか。私たちに啓蒙を与えてくれるものとは一体何なのでしょうか。イエスは、この「光」と呼ばれる力は愛であると教えています。

瞑想の道は単純そのものです。命のある限り毎朝、そして毎晩そのために時間を作りさえすればよいのです。その時間、その光、すなわち神、すなわち愛に対して自分を開かなければなりません。これを実践することは、自己中心的な啓蒙を得ていない意識からの根源的な回心となることでしょう。自分について考えない、色々な計画を作らない、そういう様々な意識の活動から離れて、常に深まりゆく沈黙の中へ、存在の常に深まり行く敬虔の中に入るのです。それが神に根ざすということなのです。肉体もこのプロセスには深くかかわります。ひとりで、あるいは一緒に瞑想する時、その間ずっと静かに座る、文字通りまったくの静止状態に入るべく真剣に努力しなければなりません。これは内面の回心の肉体的兆候なのです。ある意味、肉体を捨てるということなのです。そして目を閉じ、そっと自分の言葉、マントラを平和のうちに、静かに、自分の存在のあらゆる部分を神との共鳴の中で唱え始めるのです。マントラがこの現実を実現してくれます。そして、その共鳴の中に入り込む時、私たちは愛の光の中に入るのです。
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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A selection from Fr Bede Griffiths OSB, THE NEW CREATION IN CHRIST: CHRISTIAN MEDITATION AND COMMUNITY (Springfield: Templegate, 1992), p. 50.

瞑想に深く入り込むということは苦しみにもがく愛の神秘に入ること。それは私たち人間の本性に刻み付けられた傷と遭遇することである。私たちは皆幼児期から深く傷つけられており、無意識の中にその傷を抱え込んでいる。マントラを繰り返し唱えることは、無意識の深みにあるこれらの傷を開き、それを光の下にさらす方法である。それはまず第一に自分が傷ついていることを認め、それとともに、これは人類の傷の一部なのだと気づくことなのだ。私たちは、自分の中に見つかる弱さをすべて、そして自分を動揺させるものすべてを脇に追いやり取り除こうとする。がしかしそれはできることではない。私たちは、「これこそが私なのだ」と受け容れ、そして神の恩寵がそのすべてを癒しに来ることができるようにしなければならない。それが苦しみの大いなる秘密なのだ。押し戻そうとするのではなく、瞑想の中で無意識の深みを開き、自分が孤立した個人としてあるのではなく、人間という大家族の相続財産全体の中に入り込もうとしているのだと気づくことなのだ。
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