Home

前週の栞

日本語監修センター
075-862-7114

定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org

The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
Weekly Readings - 2007
41
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
“Dearest Friends,”  Christian Meditation Newsletter, Vol. 30, No.1, March 2006.

砂漠の父たちは福音を読み理解し、その結果として、癒してくれるものはいつも人間関係であるということをも理解しました。孤独であったために彼らにはそれがわかり、そして共同生活の中で支えられたのでした。人間関係は相手に耳を傾けるところから育つということがわかっていました。そして彼らは悪魔がどういうものであるかも知っていたのです。。。。

依存癖というのは単に、誤った自己認識の結果でしかありません。これを飲んでいれば、あるいはこれをやっていれば自分のほしいものが手に入るだろうと思い込んだのです。でも実際は、それは光の天使の仮面をかぶった悪魔でした、そして今ではそれから離れられなくなっているのです。神への渇きであったものがいつの間にか別なものに向かわされ、毒を飲んでいるのです。16世紀のスペインの侵略者であるコルテスが始めてメキシコに到達した時アズテカの人々には彼らの宗教の預言が成就したように思われました。彼らは諸手をあげて彼を歓迎しましたが、気づいた時には時すでに遅く、自分たちの文化をまるごと破壊されていたのでした。

私たちはいつも自分の思い描く救い主にしがみついていきますが、それは、本当の救い主というのは自分にしがみつくことを許さないものであるということに気づいていないからなのです。「私にしがみついてはならない。。。私はまだ父の御許に昇ってはいないのだから。」本当の癒し主は人間関係を許すのであって、その人間関係が中毒となることは許しません。イエスは初期のキリスト教徒からは、新興宗教の創設者というよりも人類の魂の医者として見られていました。「あなたは私を何者だと思う?」という主の問いかけの深い意味―幾層にも重なる意味のすべてが、主の優しさと謙虚さから学んだ者たちに与えられる自由の中に見出されました。これは特に、主の友情という軽いくびきを受け入れた者に可能だったのです。何か別なものに頼るようになってこの自由を投げ出すものには主に気づくことはできないのです。「彼はこの世におられた。しかしこの世は、彼のおかげで存在しているのに、彼を認めることはなかった」というのは、主が地上を歩んでいる間に実際に起こったことの記述でもありますが、今に生きる私たちへの警告でもあるのです。この警告は、まだよくはわからないでいるけれども真剣に探し求めている人々への警告というよりも、むしろ主を別な神、即ち偶像へとまつりあげてしまっているクリスチャンに対する警告であります。これ以上に明確なことはありません。主はご自身を、もっとも深いところに至れば、ゴールそのものと一つであるとわかる道として差し出しておられるのです。「私を信じるということは、私を信じるということではなく、私を送られた方を信じるということである」(ヨハネ1244

この言葉の矛盾点はすぐに解決されます。私たちは合理的であること、きっちりと定義できる確実さを好みます。また、自分が慣れ親しんでいるものの考え方や現実の受け止め方に反するように見えるものを笑い飛ばすのは簡単です。でもその慣れ親しんでいる感じ方が実は現実に反するものであったとしたらどうでしょうか。自由だと思っていたものが実は依存癖でしかなかったとしたら?。。。砂漠の師たちは、自分の抱いている幻想や依存癖という厳しい真実を直視するということは多くの誘惑との戦いの成果であるということを理解していました。彼らはそれを悪魔との戦いと呼んでいましたが、同時にその悪魔は自分の内にいることも知っていました。悪魔は外にいるというのはその戦いから逃げているに過ぎません。人の高潔、本当の自分となり他者を愛することのできる自由は、座って沈黙の業に入る度ごとに向かい合う試練によって完成されるのです。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
>>>>> 30
分間瞑想 <<<<<

覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
瞑想の後で
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
Coleman Barks
訳:”The Soul’s Friend,” THE SOUL OF RUMI: A NEW COLLECTION OF ECSTATIC POEMS, New York: Harper Collins, 2001, p. 190

本当の自分なる「友」に耳を傾けよ、切望を
感じる時は、我慢し、そして

慎重になって、食べること飲むことを節制しなさい。風の
中の山のようになりなさい。

ほとんど動かないだろう?甘い幻影が
訪れて

君の心を誘い出そうとする。「胃が
もたれてるんだ」とか「いとこが来るんだ」

とか言い訳を言いなさい。釣り針につけられた餌は
50枚、あるいは60
枚かもしれない、でも

それは本当に大海を泳ぎまわる自由の価値があるのかな。旅を
する時は自分のかばんから離れてはいけない。

私が、あなたの愛するものの入っているかばんだ。
私から離れることもできる。気を

つけて、この友情の中で生きなさい。
「でも
あの者たちも本当に私を愛してくれて

いる」と考えてはいけない。誘いの中には、鶉を引き寄せる
鳥飼いの笛のように響くものもある。馴染み深い音色だけれど

自分の覚えている魂の友の招きとはどこかが違う

_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
この栞はあなたの個人的な使用のため、そして瞑想会で利用するために用意されています。皆さんご承知のように、WCCMの活動は、皆さんからの寄付で支えられています。センターへ寄付金を送っていただければ大いに感謝いたします。センターの住所は、
  The International Centre; The World Community for Christian Meditation
  St. Mark's,
  Myddleton Square; London EC1R 1XX; England, UK
  Tel: 020 7278 2070; Fax: 020 7713 6346

アメリカ合衆国ならば、
 the John Main Institute
 C/O Bob Lankford (JMI会計係),
 2490 18th, Kingsburg, CA 93631;
 JMIのアメリカ政府用税控除番号は 52-1735210 です。
 
Weekly Internet Medit@tion Group Leader:
Carla Cooper
WCCM Guiding Board & John Main Institute
Houston, Texas
+++++++++++++++++
これまでの瞑想の栞は
http://www.esuk.net/wccm/
+++++++++++++++++
日本語のWeekly Readings (瞑想の栞)翻訳・監修責任
WCCM
京都グループ 黒宮康明
E-mail
info@esuk.net