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前週の栞

日本語監修センター
075-862-7114

定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org

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Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings - 2007
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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瞑想の栞 200756日号

「我意と神意」(”Self-will and Divine Will”, John Main, OSB, THE PRESENT CHRIST (New York: Crssroad, 1991), pp. 85-86.

聖パウロは、人の心に光り輝く光があると言っています。また聖ヨハネは、この光は、神の意識の、純粋な愛の切先であり、すべての人の中にあり、崇められるべきものである−この世に生まれてくるあらゆる者に啓蒙を与える光なのだと言っています。つまり、人間であるということは、この人間にしか備わっていない、そしてなおかつ誰にでも備わっている神の切先の宮となるということなのです。だから聖パウロと聖ヨハネは本当に貴重な証人なのですが、しかし私たちも、あらゆるものが、そしてあらゆる人が、この、自分の中に見出される同じ切先の放つ啓蒙の光を浴びているということを自分の経験を通して学ばなければなりません。本当の意味で、自分は自分自身であるということを発見しなければなりません。真実の自分にならなければならないのです。あらゆる創造、あらゆる意識が、神の愛に始まりを持ち、養われています。平和を希求する私たちの心は決して空虚なものではありません。なぜなら私たちの内で輝くこのキリストの光の中で、神をこのように経験すれば、人間の想像力ではまったく思いもよらないほどに平和を得、内側の力が統一され、あらゆる欲望が満たされます。

私たちの人生は知恵の探求とならざるを得ません。なぜならば知恵が、この光から、この力から生きる術を身につけよと命じるものだからです。知恵あるものはいつも知恵との調和の中にあって、いつも知恵から力を得ています。この調和から外れるということ、つまり、知恵から単なる狡猾さへと堕することは、非存在の地獄へと落ち込んでいく坂道を転げ落ちることです。この転落は回心の真反対の動きです。だから、この真反対の方向へと突き進んでいる人は、回心の道を歩む人とまったく同じものを目にしながら、鏡の向こう側に映る現実、まったく真反対の姿を見てしまうのです。回心は愛と命の中を歩ませてくれますが、その対極にあるものは無愛を作り出してしまいます。。。愛は常に創造的です。しかし無愛は死をもたらします。回心は愛の創造力に身も心も捧げることです。無愛の方へと向かうということ、つまりエゴイズムは、死に魅せられてしまうことを意味します。これはいろいろな社会の中にもまた個人の中にも見出されます。いずれの場合も、物質的繁栄は真の創造力のものさしとはなりえません。信頼できる唯一つのものさしは、あらゆる部位を愛の中で調和させてくれる中心から流れ出る平和の深さなのです。

回心は私たちすべてに、人生を、ものの見方を大きく再調整することを要求します。この再調整は、思考力によって思いつくことはできても、実際に行うことはできません。自分の中心にしか見出せない創造する力によって自分の中にくみこんでもらう以外ないのです。自己改革の過程だとか、何か好ましい結果を手に入れるためのツールだとか思っている限り瞑想を理解できない理由はここにあります。それは学びの過程、驚きとどんどん深まる過程としてとらえるとよく理解できる理由なのです。何よりも、神が中心である、宇宙の中心である、そしてあらゆる存在物の源なのです。瞑想がかくも重要なのは、それと直面する自信を持たない限り真理へと到達できないからなのです。その自信は、自分の心の中の混じりけのない愛との遭遇から生まれてくるのです。
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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Mary Oliver,
木々の中で “When I Am Among the Trees,” THIRST: Poems by Mary Oliver (Boston: Beacon Press, 2006) p. 4

木々の中で

木々の中にいると
特に柳とアメリカサイカチ
それにぶなと樫と松も
木たちが喜びの香りを放っている。
君たちが私を救ってくれる、それも毎日、って思わず言ってしまいそうになる。

私は自分の希望からは本当に遠ざかる
自分には善良さも、そして洞察力もあるけれど、
私はこの世を決して急ぐことなく
ゆっくりと歩み、しばしば頭を垂れる。

私の周囲で木々が葉をざわつかせ
「しばらくいなよ」と声をかけてくれる。
その枝から光が流れ出てくる。

そして再び彼らが声をかける、「簡単なことだよ、
それに君だってこのために生まれてきたんだよ、
力を抜いて、光に満たされて、光り輝くために。」


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この栞はあなたの個人的な使用のため、そして瞑想会で利用するために用意されています。皆さんご承知のように、WCCMの活動は、皆さんからの寄付で支えられています。センターへ寄付金を送っていただければ大いに感謝いたします。センターの住所は、
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