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定例瞑想会
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午後7時-8時
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The International Centre The World Community for Christian Meditation
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Weekly Readings - 2007年6月17日
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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From Laurence Freeman, OSB, “Remaining Free,” THE SELFLESS SELF (London:
Darton, Longman, & Todd, 1989), pp. 24-25
この群れから離れることがスピリチュアルな探求の第一歩です。それが、自分自身であるということにおける最初の、そして孤独な一歩なのですが、それは考えているよりはるかに内面でのプロセスです。これが本来の自分だと思えるものが、実は、他者とは違う自分でいたい、特別な存在でいたい、別物でありたい、勝者でありたいというエゴの一つの形に過ぎないということがよくあります。しかしこの群れから離れることは、エゴを切り離すことであり、一つの発見、それも孤独の発見ではなく、他者とのかかわり、人間関係の発見なのであります。逃れなければならないこの群れ、即ち、私たちを囚えている牢獄は、私たち自身の中にあります。それが目に見えることはあまり多くはありません。しかし他者を閉じ込めておこうと張り巡らす鉄柵が、実は自分をぐるりと取り囲み、他者が入り込むことができなくしていることが実に多いのです。まず最初にそこを照らし出さなければなりません。確かにそれは落ち着かないことであり、また不愉快なことであります。しかし自分を知るというのはまったく心楽しいことではないのです。それでもこの不自由を引き起こしているものが見えなければなりません。そしてそれが見えるのは、実に単純なやり方によるのです。体と意識を静止させ座ればよいのです。
毎朝毎晩30分間静かに座ると、この群れに出会います。それと出会う中で、それから自由になるのです。この内なる群れは、エゴが作り続ける、自分の断片の集まりです。その一つ一つが、俺の方を向いてくれと自己主張し、他を圧倒しようと競争して大声を出します。傷つけられ、へし折られた自分の残骸、経験の残滓、とりとめもないお話の断片、入手不可能なものを求めてまったく無制御に金切り声を上げる欲望と恐怖。。。。瞑想をすると、そういう群れ、そして自己の断片が雑念として立ち現れてきます。瞑想する時に、何がしかの雑念を経験しないものなど一人もいません。しかし瞑想の道は、雑念のような皮相的なものにとらわれるものではありません。人生そのものを秤として読み進まなければなりません。なにものにも囚われることなく自由にマントラを単純素朴に唱えながら生きることができた時、自由になったことを知ります。雑念の群れの中を突き抜けて自由に至る道はマントラを唱えることなのです。
マントラは、本当の自分に導いてくれ、自由へと導いてくれます。すばらしいほどに直接的で正確なマントラの道をたどり始めると、マントラが、ずたずたに引き裂かれた自我を一つの全体に統合し、統一し、調和をとってくれます。イエスは、真理が私たちを解放すると言いました。真理とは単なる考えではありませんので、いくら考えたって私たちは自由にはなれません。真理は、存在全体をもってする現実体験です。祈りが真理の純粋な体験です。瞑想を始める時に入り込んでいくのは祈りなのです。。。神の真実を知るには、そこに入り、孤独の中で祈りと一つにならなければなりません。見つけるためには群れを捨てなければならないのです。
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>>>>> 30分間瞑想
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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Francisco de Osuna (15世紀)、”Texts,” in an ANTHOLOGY OF CHRISTIAN MYSTICISM, ed. by Harvey Egan
(Collegeville, MN: The Liturgical Press, 1996), p. 419
もし神の未国が私たちの中にあるのなら、外にあるもろもろのものに考えを向け、それにかかずりあいながら探求の途につくとすれば、歩みを遅らせ、回り道をするだけとなる。。。心の聖墓に戻り、、、五感、、、想像、敏感な思い出というものから離れようではないか。後に残るものは、。。失われたものを是非見つけ出したいと切望し、何度でも繰り返し同じ場所、即ち私たちの心に立ち戻ろうとする意志である。書簡が忠告している。「沈黙のうちに、希望をもって自分の中に引きこもれ、、、そして自分の銀の器、そして自分の井戸の流れから水を飲め。」
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