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前週の栞

日本語監修センター
075-862-7114

定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org

The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings - 2007
71
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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John Main OSB, "Letter Three(
3番目の手紙)," LETTERS FROM THE HEART (New York: Crossroad, 1988), pp. 55-57.

とても価値ある、キリスト者の生活に関する聖ベネディクトのビジョンの一つにvia media即ち中道というものがあります。実際、「規則」は、その中心的文章の一つを構成するたった3つの単語に要約することが出来ます。Ne quid nimis (第64章)、つまり 何事も過剰を排す というのです。この言葉は、社会的なものであれ宗教的なものであれ、全ての狂信主義の放棄を要求します。ベネディクトの洞察は、まったく素朴な表現ではありますが、非常に深いものです。狂信主義の本質は、自分を相手の中に失ってしまうことへのエゴの恐怖であり、R.D. Laingが現実の「爆発的流入」と呼ぶものが入り込まないようにしようとするエゴの自己防衛なのだとベネディクトは見抜いたのです。だからベネディクトは、あの現実に対して十分に完全に自らを開けるようになる道を単純で具体的な言葉で修道士達の前に示したのです。即ち、日々の生まれ変わりとしての祈りの揺らぎない堅忍と忠誠への献身です。

ベネディクトが用いた言葉自体の中にこのビジョンの本質が含まれています。via media(中道)という言葉は、meditation (瞑想)同様 medius 即ち中央または中心という言葉から派生しています。ここにこそ、私達は根をおろさなければなりません。ここにこそ私達は行脚の末にたどり着かなければならないのです。いや実は、私達はここに存在しているのです。meditare、英語ではmeditate(瞑想する)ですが、この言葉自体も求心的であるこの道筋の辿り方を示しています。そのもともとの意味は、何かを繰り返し繰り返しひっくり返すこと、繰り返すことです。もう皆さんもご承知のように、私達を存在の中心へと導き、そして根をはらせてくれるものは、マントラを忠実に唱え続けることなのです。

真剣にこの行脚を始め、この行脚を続けることへの一回目の献身(あなたはこれから何度も同じ献身を繰り返しすることになります)をするまでは、この話は、いくら伝統の重みがあるとはいっても、教義としてはいかがなものかという思いをいだくことでしょう。私達が内的に生まれ変われるかどうかは静止にかかっている、そして私たちの活力と創造性は一定不変でいられるかどうかで決まるというのはもちろんパラドックスです。しかし恐らくはそれゆえにこそ、現に瞑想している人というのは、究極のところで活力を奪い不満を引き起こすものは雑念と不安であるということを経験した人々なのではないでしょうか。私たち自身の内なる静止および内なる現実、それこそが実は内住くださるイエスの臨在なのですが、それを回避してしまうから、本来なら喜びと自由があるべきところに不安が生まれてしまうし、本来ならば自分の本当のアイデンティティの広がりがあるべきところに偽りの個性の監獄が出来てしまうのです。[。。。]

だから、瞑想の中で、恐怖、欲望、心配という不安なエゴから離れ、あのおかたの方に向かう時、イエスの中にいる自分を本当に見出すのです、しかもそれが私たちの存在の根源において、、、できるのです。この行脚は、自我から離れる勇気がなければできないことです。Paul Tillichの言葉を使えば、「自分のアイデンティティのフロンティア」を超えない限り何も見つからないし、どこにも行くことは出来ません。
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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“Five A.M. in the Pinewoods,” Mary Oliver, NEW AND SELECTED POEMS (Boston: Beacon Press, 1992).

私は
彼らのひづめの跡をふかい
松の葉の中に見ていた、そして
彼らは松の木々の下を

2
人の沈黙した
美しい女たちのようにさらに
森の奥深くに向かって歩みながら
その長い夜を終えたことを知った、だから

私は暗闇の中で立ち上がりそこへ
行った。彼らは丘をゆっくりと
降りてきてその青い木々の下に
座る私を見つめた

恥ずかしげに、
近寄り
そしてびっしりと生えた
まつげの下からじっと見つめ

水気のおおい草を
かじりさえした。これは
夢についての詩ではない
そうなることも可能ではあるが。

これは私たちのものである世界、
いやそうなることもできる世界についての詩だ。
最後には、
いや本当なんだ、一頭は

私の腕の中に入ってきたことだろうに。
しかしもう一頭のほうが
まるで正気にもどれといわんばかりに
松の葉の中で鋭くひづめを

鳴らした、
そして2頭は一緒に木々の間を抜けて
どこかへ行ってしまった。眼を覚ますと
私は一人だった。

私は思った
なるほどこうやって内に泳ぎ入るのか、
なるほどこうやって外へ流れていくのか
なるほどこうやって祈るのか。
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この栞はあなたの個人的な使用のため、そして瞑想会で利用するために用意されています。皆さんご承知のように、WCCMの活動は、皆さんからの寄付で支えられています。センターへ寄付金を送っていただければ大いに感謝いたします。センターの住所は、
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