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前週の栞

日本語監修センター
075-862-7114

定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org

The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings -2007
1021日号
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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John Main OSB, "Silence of Real Knowledge
(真実の知識の沈黙),' THE PRESENTCHRIST (New York: Crossroad, 1991), pp. 14-16.から抜粋

キリストは光である。キリストは私たちの視野に幅と深みを与える光である。キリストはまた、彼の完全に実現された人間の意識において、私たちが神の視座からものを見る目である。彼の光なくしては、私たちの視野は偏狭な次元に縛り付けられているだろうし、私たちの霊が自らを超え、ひとつとされた時の無限の自由とクリスタルな明晰さの中へと飛翔していくこともありえぬだろうし、私たちの意識は、それがいかに素晴らしいものであろうと、外縁からの観察者の域を脱することはない。。。。

この光の体験の中へと分け入る祈りの行脚をつましく歩む者にとっては、これが唯一つ必要な根本的知識である。それは、私たちを固着観念の外へと引き出し、どんどんと拡大する現実へと調和させ、自らの中心を自分に関する先入観の限界を超えて、神の中に見出させる感化力をもった世界である。私たちがどうしてこんな旅を始めたのかということは、私たちが現実に旅を始めているということに比べればとるにたらぬことである。始めるためには、ほんの一瞬身を委ねればよいのだ、エゴの壁の中のほんの小さな裂け目をうがてば、あの光がどんどんと力強く流れ込み、やがて、完全な明晰さを妨げるあらゆるものを着実に克服してくれる。

いつ委ねるかは、常に我々にかかっている。それは決して、今は手に入らぬ理想、将来の可能性などではない。いつも現に今ある現実だ。唯一つの問題は、私たちが、それを見、その招きを聞き、応答することが出来るほど十分に自分自身に対して存在しているかということだ。すべての瞬間がその時である、なぜならあらゆる時の中に神の意味が充満させられているからだ。私たちの時代がキリストの時代であり、神の栄光の時代であり、それは、私たちの目覚め、私たちの気づきによってその変身が完成させられるのを待っているのだ。。。「今が受け取るにふさわしい時である。」

この変身の神秘は、キリストの力によって、私たちの内部で、私たちを通して働くのであるから、私たちの日々の生活がとても重大な意義を持つ。真実の光の中で見られるとすれば、いかなる細部も無意味ということはない。。。。だから、仮に私たちの霊がこの神秘の絶え間ない拡大との調和の中で拡大し、その生命と光を受け取るべきであるとするならば、この拡大の中で、私たちの祈りの時間が至高の重要性を持つことになるのだ。
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分間瞑想 <<<<<
覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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St Anselm’s Proslogion, noted in MARKING THE HOURS: English people and Their Prayers 1240-1570, Eamon Duffy (New Haven: Yale, 2006), p. 56.

さあさ、しばらくは日々の営みから離れて、一瞬でいいから自分の思いから逃れてごらんなさい。重い悩みを横において、心の重荷は待たせておきなさい。しばらくは神様のために自分を解放し神様の中でお休みなさい。自分の魂の内奥にある小部屋に入り、あらゆるものを締め出すのです。そして神様と神様を捜し求めるのを助けてくれるものだけを残すのです。さあ、私の心よ、すべてをこめて神様に語れ、「私は御顔を探し求めます。」