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前週の栞

日本語監修センター
075-862-7114

定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org

The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings - 2007
114
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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John Main OSB, "I Am as I Am," WORD MADE FLESH (London: Darton, Longman & Todd, 1993), pp. 40-41
から抜粋。

マントラを唱える謙虚さ、忍耐そして忠誠心がありさえすれば、存在するあらゆるものの中に十分に入り込むことができます。これが、います神、今いまし、常にいましすべてなる神の臨在性の神秘です。時間に縛りつけられた言葉に頼る限り、また自我に縛りつけられた欲望と想像に駆り立てられている限り、この神秘への入り口を見つけることは永久にできません。今という瞬間へと入り込ませ、自我のかなたへと導きいれてくれるマントラであればこそ、神の都市への狭き門の中へと滑り込むことができるのです

究極的には、沈黙のみが意味をなします。行為や思考は、ことをなすには不可欠なものともなりうるのですが、私という人間を私たらしめるものではありません。単に在ること、それが私を私たらしめているのです。私たちが私たちであるのは、神が神であるからです。神は神としてあり、そして私は私としてあります。それはつまり、私は神の中においてのみ存在することが可能だということなのです。

もちろん、こういうことを口にするのは簡単なことです。それを理解するとなると、まったく別の問題ですし、理解力そのものが人間の認識の有限性と二元性によって厳しく制約されています。にもかかわらず理解力はこの自分なる存在の中核的体験を指し示す道しるべのようなものです。人生に満足できるとすれば、この中核から生きた場合に限られます。仮に神が神であることに満足しているとするならば、私たちが何か他のものになろうとする必要があるでしょうか。神は、自らを授ける愛の創造性です。祈りは単に、私たちの存在の、もっとも深く、もっとも現実的な中心、自分が単に自分自身である中心におけるあの創造的な力への完全なる感受力なのです。ここでは、いかなる努力も、自己投影も、罪の意識あるいは恥、あらゆる心の動きを超えたところで、存在するただおひとりなる方に知られているという認識の中に爆発的に入り込むのです。

。。。日々の瞑想への、そして瞑想の間のマントラへの忠誠がすべてなのです。この極めて重要な時に、神について考えてはいけない、神を想像してはいけないのは、単に神は臨在しておられるからだということを私たちは知っています。神は、ただ単に見出されるためだけにではなく、愛されるためにここにいます。そして 愛の中で、考えが消えるにまかせるのです。

私は確信しています、死にも、命にも、霊や超人間的な力の領域にも、現在の世界にも、未来の世界にも、宇宙の中の力あるものも、高みにいるものも、深みにいるものも、いかなる被造物も、私たちを我らの主キリストイエスにおける神の愛から引き離すことはできないのです。(ローマ8:38-39

とすれば、自分の雑念にめげてしまう必要がどこにあるのでしょうか?
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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Enya, “How Can I Keep From Singing,” Hymn in the Common Domain.

私の人生は、地上にあふれる悲嘆の声を尻目に
終わりのない歌の中で続く。
遠くにではあるが、新しい創造を声高に祝う
本物の賛美が聞こえてくる。

喧騒そして争いの向こうに
その調べが鳴り響いているのが聞こえる。
私の魂の中にそのこだまが響く。
どうして歌わずにいられようか。

音を上げて荒れ狂う嵐の向こうに
真理が聞こえてくる。真理は生きているのだ。
そして私を取り囲む闇が閉じる
しかしその闇が夜の帳のなかで歌を与える。

私があの岩にしがみついている限り、
いかなる嵐も、私のもっとも内なる静かさを揺るがすことはできない。
愛が天と地の主だとすれば
どうして歌わずにいられようか。

暴君たちが恐怖の中で震え、
自分の弔いの鐘の音を聞いているときに、
遠くでも近くでも友が喜びの声を上げているときに、
どうして歌わずにいられようか?

独房や地下牢の中で
彼らへの思いが翼に乗って飛んでいく。
辱めを受けた友の汚名がそそがれている時に
どうして歌わずにいられようか。
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WCCM
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