Home

前週の栞

日本語監修センター
075-862-7114

定例瞑想会
土曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org

The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
Weekly Readings - 2007
129
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
An excerpt from Laurence Freeman OSB, “Dearest Friends,” WCCM International Newsletter, December 2007 forthcoming.

今のようにストレスと不安で一杯の時代には、時間が私たちの生活に重苦しくのしかかってきます。意味もなく、時間は、まったく耐え難いほどに私たちにのしかかり、そして、まったく逆説的ですが、あっという間になくなってしまいます。それはまさに復活を伴わない磔刑(たっけい)のようなものです。現代社会に精神の病が急増している原因はまさにここにあるのではないでしょうか。瞑想は、今という時間の経験を深めることで、私たちの過去と未来という意識構造を変えてくれます。そしてそれこそが「真理を単純に楽しむ」という瞑想の中核の意味なのです。

死は、不思議なほどに意識を集中させ、そして現実を鋭く経験させてくれます。すべての瞬間が貴重なものとして、驚きと喜びの中で経験され共有されます。死を目前にした恋人たちは、自分たちに残されたすべての時間を一緒に楽しみますが、しかしその一秒一秒を数えたりはいたしません。今という時間は測ることはできないのです。これもまた様々な制約からの自由です。食事を始めようとするあなたに、「お楽しみください」と言うウエートレスは分かっているのです。時間の枠組みなしに今という時間を言い表すことができるでしょうか。それは、言葉を使わずには、唯一つの御言葉を語ることができないのと同様に不可能なことです。しかし今という時間は、私たちが過去及び未来として思い描くものと別物ではありません。その中に時間が含まれています。今という時間は、時間が秒単位で刻まれていくのを数えたり見つめたりすることをやめなければ経験できないものだといってもいいかもしれません。そのことは、今という時間が、字義通り「あらゆる」瞬間である、それも、どの一瞬たりともまばたきする間に流れすぎていたり、無駄になったり、忘れられたり、無視されたりすることなく、まったく途切れ目なく連続しているものなのだと真実理解できた時にようやく分かるものです。それが、あらゆることに対して十分に完全に目覚めているということなのです。まさに今、ここで。

これが最後のパラドックスです。。。。どうして時間と永遠とが共存できるのでしょうか。しかし瞑想が教えてくれます。昨日の会合についてのレポートを書き、明日の会合の計画を練っている間にも、永遠の今の中に生きることができるのです。死の床にあるときに癒しが起こり得るのです。ヴェーダ文化は、このことすべてを、現世は幻である、つまり、ちょうど映画を見終えた後、部屋の明かりをつけ、映写機の電源をつけるみたいに、いつかは目覚める夢の世界なのだと劇的に言い表していますが、それが理解できるようになります。ジョン神父もキリスト教の伝統もこのことを言いたがりません。というのもそれは、日々の生活の中で、そして私たちの人生という行脚の旅路の年月の中で経験する人間愛ばかりではなく受肉のパラドックスを貶めることになるからです。しかし、今という時間に照らしてみると、私たちの思念や思い込みのどれほどのものが幻であるかが分かりますし、数ある不安も霧散していきますし、危機だと思っていたものも消滅しますし、心をとらえて放さなかった悩み事からも解放されます。しかしジョン神父は、意識の浄化の意味を決して小さなものととらえてはいません。すべてはそこから始まるのです。

  しかし、このことも理解しなければなりません。私にできる限り明確に
  このことを伝えなければ、ひどい誤謬へと皆さんを導くことになるでしょ
  う。私たちの内にある臨在へと導いてくれるこの心の浄化へと導いてくれ
  る浄化はあらゆるものを焼き尽くす火なのです。そして瞑想とはその火の
  中に入り込むことなのです。それは現実ではないものすべてを焼き尽くす
  火であり、真実ではないすべてのものを、愛さぬ者すべてを焼き尽くす
  火です。その火を恐れてはなりません。その火に絶対的な信頼を置かねば
  なりません、というのもその火は愛の火だからです。いや、その火は、さ
  らに大きなものです。これこそが私たちの信仰の最大の神秘なのですが、
  その火は愛なるお方なのです。

マントラを唱えなさい。もし真実それを唱えることができれば、他ならぬ今ここに入ることができるのです。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
>>>>> 30
分間瞑想 <<<<<
覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
瞑想の後で
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
from THE DESERT FATHERS: Sayings of the Early Christian Monks, tr. Benedicta Ward (London: Penguin, 2003) p. 131
 (砂漠の教父達:初期キリスト教修道僧の言葉、ベネディクタ・ウォード訳

ロトはヨセフの下に赴き言った。「アッバ(父よ)、可能な限り私は節制をつとめ、節度をもって食事をし、祈り、瞑想し沈黙を守っています。そして可能な限りわが心を邪悪な思いから洗い清めるべく努めています。後何をなせばよいのでしょうか。」するとその隠修士(初期キリスト教会の遁世的修道僧)は立ち上がり、両手を天に広げた。するとその指は10条の火炎のごとく輝き、彼は言った。「完全に炎になりきりなさい。」
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
この栞はあなたの個人的な使用のため、そして瞑想会で利用するために用意されています。皆さんご承知のように、WCCMの活動は、皆さんからの寄付で支えられています。センターへ寄付金を送っていただければ大いに感謝いたします。センターの住所は、
  The International Centre; The World Community for Christian Meditation
  St. Mark's,
  Myddleton Square; London EC1R 1XX; England, UK
  Tel: 020 7278 2070; Fax: 020 7713 6346

アメリカ合衆国ならば、
 the John Main Institute
 C/O Bob Lankford (JMI会計係),
 2490 18th, Kingsburg, CA 93631;
 JMIのアメリカ政府用税控除番号は 52-1735210 です。
 
Weekly Internet Medit@tion Group Leader:
Carla Cooper
WCCM Guiding Board & John Main Institute
Houston, Texas
+++++++++++++++++
これまでの瞑想の栞は
http://www.esuk.net/wccm/
+++++++++++++++++
日本語のWeekly Readings (瞑想の栞)翻訳・監修責任
WCCM
京都グループ 黒宮康明
E-mail
info@esuk.net