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日本語監修センター
075-862-7114
定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会
The International Centre The World Community for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK International Office: +44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org
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瞑想のしおり2008年1月6日
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30 分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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ジョン・メイン神父 「誕生に備えて」 臨在するキリスト(New York
Crossroad, 1991)、pp.39-40 From John Main OSB, “Preparing for Birth,” THE PRESENT CHRIST (New
York: Crossroad, 1991), pp. 39-40
日々繰り返し行う巡礼の旅としての瞑想を始めたばかりの人がよく一つの恐れを抱くことがあります。自分自身の心という茫漠たる空間に向かって旅を始めると、それまでの、良く馴染んだ快適な世界から離れ、未知なる世界へと入り込んでしまうので、弧絶状態に陥るのではないかと大変恐れるのです。こういう恐怖心は良くわかります。よく馴染んだ世界を離れるというのは、表面的なものの見方を捨てるという意味なのですが、これが実は、より大きく深く、より大きな現実にさらされることになるために、虚空にさらされているような感覚を味わうことがあるのです。そこにこそ、新しい自分の居場所があるし、そこに入れば、あらゆる人間関係が新しい秩序の中に置き直され、すべての人、ものとしっかり結び合わされているという感覚が生まれてくるのですが、しかし、こうして本当の家に帰り着いても、まるでホームレスになってしまったように思えてしまうことがあるのです。
やがて気づきます。この新しい穢れのない自分、命という賜物を随喜する経験の中で、私たちは子供じみた未熟さを脱し、イエスが父なる神の中で享受した完全な成熟へ、聖霊として私たちの心の内に入り、ひろがり満たす父の愛の完全なる豊かさへと入っていくのです。だから、私たちが、仲間の、人としての愛、霊感を必要とするのは、瞑想という巡礼の旅を始めたばかりの今だけではありません。むしろ、これまでまったく経験したこともないようなものすごく広い水平線と遭遇してしまった今こそ、他の仲間たちとのコミュニティの力が必要なのです。仲間たちに心を開いていれば彼らの必要が良く分かるようになります。そして マントラを唱え続けるならば、どんどんと自分本位の状態から脱却し、より大きな心で他の人々と向き合うようになり、そのお返しとして、彼らからも支えられるようになるのです。実際のところ、他の人々をどれほど愛しているかが、祈りという私たちの行脚の旅がどれほど進んだかを、クリスチャンとして測る唯一つの方法なのです。
この行脚の旅で最初に求められる献身もまったく馴染みのないものです。始めるには信仰が必要ですし、多分、ある種の無謀さを必要とします。でも一度始めてしまえば、神のなさることですので、知らぬ間に運ばれていき、経験によって、この献身は現実に対するものなのだ、この鍛錬は自由への飛び込み板なのだと教えられます。それこそ愛のなせる業なのです。この旅が「に向かう」のではなく「から離れていく」ものではないのかという恐怖は、実際に経験しない限り消すことはできません。これは究極の所では、経験だけが意味をもつ旅なのです。他の人の言葉とか書き物は、この、あなたの心に、そして私の心に息づいている、完全に現実のものであり、そして完全に今という時間の中にあって、まったく個人的な現実には、ほとんど光を当てることなどできないのです。奇跡的にも、私たちは一緒にこの経験の中に入り、そして今まさにコミュニケーションが崩壊するように思われたまさにその瞬間に、霊と霊の交わりを発見するのです。
そして、自分の心への旅路は、すべての人の心へと入り込む旅であります。そして最初に差し込んでくる現実の光の中で理解します。これこそ、イエスがつくり上げるべくこの世に生を受けた御国であり、すべての人の心に実現するために再び生を受けた御国なのだということを。
>>>>> 30分間瞑想 <<<<<
覚えておきな さい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、
心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその 言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであ
ろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選ん だ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
>>>>> 瞑想の後で <<<<,
from Lee-Moy Teresa Ng, “Meditation and Working among the Poor,” THE FIRE OF SILENCE AND STILLNESS, ed. Paul Harris (Springfield, IL: Templegate, 1996), p. 17.
キリストを見つけるのに、カルカッタへ行く必要はありません。マザー・テレサが言ったように、「遠くの国にキリストを探してはいけません。キリストはそんなところにはいないのですから。キリストはあなたの中にいるのです。」
キリストは、本当の意味で私たちの前を流れ、そして私たちがしっかりと生きているあらゆる時間の中にいらっしゃいます。だから、今という時間は、常にキリストの時間なのです。だから、私たちの隣人は、常に今のキリストなのです。マントラを唱えると、私たちのエゴが抑制され、私たちを今という時間に根付かせてくれます。同様に、隣人の中でももっとも貧しい者は、私たちのエゴイズムを抑え、幻を粉砕し、私たちに唯一つ手に入る希望のある叡智を明らかにしてくれます。謙虚の叡智です。謙虚さが、私たちについての真実、即ち、私たちは貧しいということ、の中にしっかりと根付かなければなりません。
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