|
前週の栞
日本語監修センター
075-862-7114
定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会
The International Centre The World Community for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK International Office: +44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org
|
The World Community for Christian
Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
Weekly Readings ?2007年1月13日
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
A selection from John Main OSB,
"Straying from the Mantra," THE HEART OF CREATION (New York:
Continuum, 1998), pp. 9-10.
瞑想できるようになるためには謙虚にならなければなりません。自分には学ぶべきことがある、そして何であるにせよ、謙虚に耳を傾けなければ学ぶことなど出来ないということを知らなければなりません。謙虚であるとはどういうことなんでしょう。それは、自分よりも大きく、自分を包み込んでいる現実が自分の外にあるということを認め始めることです。謙虚さとは、その自分よりも大きな現実の中に自分の場を見つけるすべを身に付けるということにすぎません。そして私たちは、全員が、この本来の自分の場で生きるようにならなければなりません。まず理解しなければならないことは、自分自身が自分の場であるということです。全てを包含する現実を認めるためには、まず自分自身の現実を認めなければなりません。自分が存在しているということを本当に知る体験を得るのは、肉体と精神が一つであることを明らかにしてくれる肉体と精神の静止、すなわち瞑想の静止の中なのです。これは、絶対的な明晰さと、絶対的な確実さでわかるようになります。そうなって初めて次のステップ、つまり自分を超える、自分を超えて昇る準備ができるのです。エゴイストの悲劇は、自分の場がわからないということです。エゴイストは自分が万物の中心におり、あらゆるものが見えていると思っています。でも、それは自分を中心とする相対的な世界でしかありません。
瞑想、そして生きている間毎日瞑想に戻り続けることは、現実へといたる通路を切り開くことに似ています。自分の場が分かりさえすれば、本当の自分になっていますからあらゆるものが新しい光の中で見え始めます。また、本来の自分になると、あらゆるものをあるがままに見る能力が備わり、他のあらゆる人がその本当の姿で見えるようになるのです。瞑想の一番の不思議は、神までも、あるがままの神の姿で見え始めるのです。だから瞑想というのは安定にいたる道なのです。私達は訓練と経験によって、自分の本質的存在に根ざすとことができるようになります。そして、自分の本質的存在に根ざすということは、あらゆるものを包含する現実を書き著した者でありそして根本原理である神に根ざすことであるとわかります。そして現実に入る、つまり現実にいたる、本来の自分になるということは実に大きな出来事なのです。なぜならその体験の中で、あれほど絶え間なしに私たちを苦しめるあらゆる虚像から自由になるからです。もう誰か他の人の思い描く自分である必要はなくなり、単純に本当の自分であればよいのです。
瞑想は孤独の中で実践されますが、対人関係を身につける優れた方法です。このパラドックスの理由は、自分自身の現実と触れた後は、他の人々のところに出向いていき、本来の姿の彼らと相対(あいたい)する実存的自信を身に付けているからです。だから瞑想の孤立という要素は、不思議なことに孤独に対する本当の解毒剤なのです。自分が現実と一致していると知った後は、もう二度と他者のよそよそしさに脅かされることはありません。私達はいつも自分を肯定してくれるものを捜し求めてばかりいるわけではありません。今や愛の探求を行うようになっているのです。相手の現実を探しているのです。相手の現実と出会う経験をする中で、より豊かで深められた自分自身の存在と出会うのです。
瞑想は過酷なものです。瞑想したいと思うときも瞑想したくないと思うときも、雨であろうと雪であろうと、太陽がかがやいていようが、テレビでなにをやっていようが、その日がどんな一日であったとしても、瞑想できるようにならなければなりません。クリスチャンの瞑想のビジョンの中で。。。イエスの教えるあの偉大なパラドックスの現実性に気づきます。自分の命を得ようとするならば、それを捨てることができなければなりません。瞑想している中で、私達がやっていることはまさにそれなのです。私達は自分を手放す、自分を深淵の中へと進ませることができるから自分を手に入れるのです。なぜなら、やがてその深淵こそが神の深淵であると見えてくるからです
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
>>>>> 30分間瞑想 <<<<<
覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
瞑想の後で
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
from Simone Weil, ed. Eric Springsted (Maryknoll, NY: Orbis Modern Spiritual
Masters Series, 1998), p. 109.
福音書は人間の生活について書いているのであって、神学について書いているのではない。
仮に夜、屋外で電灯のスイッチを入れたとして、その電気の力は、電球そのものじゃなくって、電球が照らし出す物体の数によって判断する。
光源の明るさは、自らは発光することのない物体をどれだけ照らし出すかで判断される。
霊的な。。。生活の価値は、この世の事物をどれだけ照らし出すかによって判断される。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
WCCMの活動は、皆さんからの寄付で支えられています。センターへ寄付金を送っていただければ大いに感謝いたします。センターの住所は、
The International
Centre; The World Community for Christian Meditation
St. Mark's,
Myddleton Square;
London EC1R 1XX; England, UK
Tel: 020 7278 2070;
Fax: 020 7713 6346
アメリカ合衆国ならば、
the John Main Institute
C/O Bob Lankford (JMI会計係),
2490 18th, Kingsburg,
CA 93631;
JMIのアメリカ政府用税控除番号は 52-1735210 です。
Weekly Internet Medit@tion Group Leader:
Carla Cooper
Chair, WCCM Guiding Board
President, John Main Institute
Houston, Texas
++++++++++++++++
日本語のWeekly Readings (瞑想の栞)翻訳・監修責任
WCCM京都グループ 黒宮康明
E-mail:info@esuk.net
|