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日本語監修センター
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定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org

The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings -2008
210日号
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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 Laurence Freeman
著「THE TABLET 10 May 1997」所収“The Silence of the Soul”より抜粋

沈黙がこれほどにも心騒がせる理由[の一つがこれです。] 沈黙に立ち至ると、普通の日々の精神が相対的なものでしかないということを経験するからです。この相対的な精神によって空間的そして時間的な座標を測定し、蓋然性を計算し、失敗や成功を数えています。これはとても大切で役に立つ意識の状態です。実際あまりに役に立ち、なじんでしまった意識の状態なので、これしかない、これこそが自分の心のすべてである、本当の自分である、自分の全的な意味である、と思い込んでしまっています。

しかし命、愛、そして死が、それは違うということをしばしば教えてくれます。人生という街道を歩んでいると思いもかけぬ転換点で、まったく予想もつかないやり方で、そんなことありえないと思っていた人々の中で、沈黙にぶつかってしまうということがたくさんあります。沈黙の挨拶はスリル満点で不思議一杯であると同時に、恐怖で足がすくむこともしばしばであるような効果を持っています。色々な考え、恐怖、空想、希望、怒り、魅力が全部、一瞬ごとに上がったり下がったりしています。私たちは、自分が何を考えているのかと考えることもなく、これらのつかの間の状態、あるいは強迫観念的に繰り返し起こってくる状態こそが自分であると無意識のうちに思い込んでいます。そして沈黙に出会い、これらの精神状態が、本当はいかにあやうく一過的なものでしかないかということを教えられると、一体自分は何者なのだというあの恐ろしい問と直面することになるのです。沈黙の中で、自分自身が非現実であるという可能性と組み合って戦わなければならないのです。

仏教思想は、仏教用語でアナトマン(無我)と呼ぶこの経験を、苦しみからの解放の道を支える中心的柱石の一つ、そして悟りに至る根本的手段の一つとしています。仏教の修道者は、マイスター・エックハルトや偉大なキリスト教神秘主義者たちが実践したように、この内的な無常の感覚を探し出し、それから逃げるのではなく、かえって頭からその中に飛び込むよう奨励されています。


理解できることですが、アナトマン(無我)というのは一般的に他の者には非常に難しい仏教概念です。自分が存在しないなどと言うのは実にばかげているし、ひどいし、冒涜的なことじゃないかというわけです。しかし実際は、アナトマンに対するキリスト教の反感のほとんどが、根拠のないもの、もしくは誤解に基づくものなのです。それが意味しているのは、自分が存在しないということではなく、自分というものは自律的に自立した状態で存在しているのではないということ、つまり、エゴが自分はそうしていると想像したがるような存在のあり方、蛇がイブを誘惑した、あの、神になるという類の空想のような存在のしかたではないということなのです。でもそれが宗教的な人々がしばしば落ち込む神に対する不遜なのです。

神が私の存在の土台なのですから私は自分一人で存在してはいません。この洞察で照らせば、イエスの次の言葉はさらに深い感覚をもって読めます。 「私の弟子となりたいものは自分を捨てなければならない。毎日毎日自分の十字架を担い、私にしたがわなければならない。私のために命を失うものはそれを救うのである。」(ルカ9:23-24)

沈黙を通してこのアナトマン(無我)の真理を我が物にできるとすれば、意識の本質に関する大切な発見をしたことになります。意識、すなわち魂は、驚異的な頭脳の計算し判断するシステム以上のものなのだということを発見します。私たちは自分が考えている以上のものなのです。瞑想は私たちが思っているものではないのです。

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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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Anne Bancroft
(Rockport, MA: Element, 1997), p. 81. THE DHAMMAPADA “The Path,” verses 276-279

自分で努力しなければならない。悟った者はただ道を示してくれるだけだ。その道に入り瞑想をしている者は、幻影の縛めから自分を振りほどく。

あらゆるものが変転している。生まれたかと思えば消えていく。これに気づく者は悲しみから自由である。これが光り輝く道なのだ。

生きるということは苦しみを知るということだ。これに気づき、苦しみから自由になれ。これが光を放つ道なのだ。

苦しむべき離れた自分などいない。これを理解する者は自由である。これが明晰の道なのだ。
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 Carla Cooper
 WCCM USA National Coordinator
 Huston, Texas
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