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定例瞑想会
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The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
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Weekly Readings - 2008
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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Laurence Freeman
WEB OF SILENCE所収「Letter Eleven(London: Darton, Longman, Todd, 1996), pp116-118

時として、恵みと信仰とマントラの単純さのおかげで深い平和と心の落ち着きへと導き入れられることがあります。意識体としての自分が、自分の存在の深くから現れるキリストのよみがえりの命を映し出し、調和の中に入り込みます。肉体と意識と精神が平和の中で結びあわされます。それはちょうど激しく言い争った後で二人の関係の土台にある善意と愛へと立ち戻った夫婦のようです。意識に関していえば、止めどもなく続いていたあの独白や芝居がかった不安の数々が突如として消滅し、すばらしく沈められるのがわかります。沈黙が訪れ、自分の静止できる能力に(ということは、まだ考えているのですから完全には静止状態ではないのですがそのことには多分気づいていません)、そしてあのとめどもなく湧き上がってくる欲望も恐怖も打ち捨てることができるということに驚くばかりです[。。。]

その後には、本当にあっという間のことであるかもしれませんが、完全に自分から離脱する時がきます。眠っているわけではありません。しかし通常の意味で目覚めているわけでもありません。実際この状態に較べると私たちの普段の目覚めている状態は目覚めているというよりも夢の中にいるようなものです。その時に訪れる意識の明晰さはその状態になりたいと願っている自分が消滅するからこそのものなのです。

「私はすでに生きておらず、私の内にキリストが生きているのです。」こんな超個人的な、自己超越的な状態を記述している聖パウロは仏教徒なのでしょうか、あるいは汎神論者なのでしょうか。すでに生きていない自分とは何者なのでしょうか。眼には見えない神の完全な似姿たるキリストだけがその内に生きている私とは何者なのでしょうか。これは重要な、絶えることのない問であります。しかしそれが重要になるのは実際にそれが起こった後のことなのです。一つとなっている単純素朴な状態の中にあってはあらゆる想念と同様にこの問いかけ自体が「真実在るお方」のまじりっけのない臨在によってすべて消滅させられるのです。

いつもの現実が戻るとその経験が始まる前に考えていたこと、のどが渇いていたとか、銀行で残高以上に引き出してしまったとか子供たちの抱えている問題だとかが戻ってきます。そして間もなくいつもの、なじみ深い思念の世界に浸りきってしまいます。(そうなると)神は、私たちの内奥深くの存在そのものをあふれんばかりに満たしてくれる愛そのものである、あの「私は在る」ではなくなり、いつかは到達したい目標、あるいはなんとか理解したい目標となったり、あるいは郷愁を覚えてやまない一つの思い出となってしまうのです。

初期キリスト教修道者たちはこういった霊的生活の通過点をよく知っていました。キャシアンは祈りの「致命的な眠り」のことを書いていますが、これは意識がまどろみ感覚が鈍くなった時です。使徒たちの「ゲツセマニの眠り」の一種です。キャシアンはまた「破壊的平安」についても書いています。これは非常に強い表現ですが、あ、これだ、と気づくや、なんとかしがみついていようとしてしまうあの意識の平静さのことです。エクスタシー、眠り、慰めといった状態のどれ一つとして祈りの目標ではありません。それがどんなに魅力的なものであっても、またそれを失うことがどれほど痛みを伴うことであってもそこには別な目標があるのです。ジュリアン女史の言葉でいえば、文字通りすべてを必要とする完璧な単純素朴な状態がそれです。精神の貧困、心の純粋。結合された八福の状態。キリストにある命。それはほんの瞬時の出来事ではなく恒久的にまったく揺らぐことなく意識が心と融合した状態です。ちょうど風のないところで燃えるろうそくのように。エゴの砂地の上にではなく本当の自分という岩の上に家を建てた男のように。
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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The UPANISHADS
所収「Shvetashvatara Upanishad」より

どこにでも在り、あらゆる生き物の
心の中に住まう愛の主は
慈悲そのものであり、あらゆる顔をご自身に振り向かわせる。

彼こそが至上の主、その恵みによって
私たちをして自分の心の中にそのお姿を探し求めさせる。
彼こそが永遠に輝く光。

彼こそが心の中の小さな炎のように隠されてある
あらゆるものの中にある本当の自分。
静止した意識以外に彼を知ることはできない。
彼を見つけるものは不死を得る。
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京都グループ 黒宮康明
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