

| 迷想的迷走者の告白 |
| メリノール修道院のシスター・メアリー・キャサリンが、一冊の本をくれました。John Mainというカトリックの修道士の書いたキリスト教的な禅の本でした。面白そうだったので、本にある通り、自分の部屋ですべて神様に任せて、何も考えないで(これもともと得意)MARANATHAと唱えていたら、何か不思議な状態になりました。これは何?と観察し始めたらあっという間に消えていきました。ほんの一瞬のことでしたが、マラナタと無音で胸の中で唱えている言葉が、もうすごく響き渡るのです。そして夢中で唱えつづけていると、今度はその言葉もどこかに消えて、何かはわからないとても不思議な状態の中にいました。 とても気持ちがよかったので、もう一度、その状態になろうと一生懸命なのですが、これがなかなかうまくいきません。本当に求め始めたら手に入らんのですね。 |
「自分の命を得ようとする者は、それを失い、私のために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」(マタイ10:39) |
| 自分で座り始めると、聖書のいろんな部分で、それまで考えたこともないような意味が浮かんでくるようになりました。いや、本当に不思議なんですよ。みんなも神様だの、仏様だのグダ愚だ言う前に、無心になって座ってみませんか?理屈をこねまわすのではなく、とにかく座り、祈る。 |
私の中にいてくださる素晴らしいお方、どうか私のちっぽけなエゴが、あなたの働きを妨げることのないよう、お導きください。 マラナタ、マラナタ、マラナタ、マダナラン、マダマダ、あ、いかん。マラナタマラナタマラナタ、、、、。 |