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(Image)世界キリスト教瞑想会
WCCM Japan

キリスト教瞑想とは


初期のキリスト教修道僧達、砂漠の教父達の教えには沈黙の瞑想的祈りの伝統がありました。その祈りの伝統を現代に蘇らせたベネディクト会修道士ジョン・メイン師は、1975年に最初のキリスト教瞑想センターをロンドンの自分の修道院に開設しました。もちろん、師の視野には修道院の改革も入ってはいましたが、この祈りは、ただ単に修道僧たちばかりではなく、すべての人々に大きな意義をもつものであることは明らかだったからでした。

瞑想というのは、単純で実践的なものです。理屈をこねまわすのではなく、実際に経験すべきもの、単なる思索の様式ではなく、存在の様式なのです。実際、瞑想が人の生き方にもたらす深い変化を思えば、それは祈りの方法という以上のものです。それは生き方なのです。自分の存在の深い中心から生きる道なのです。

瞑想の焦点はキリスト中心です。これが意味することは、たえず一人ひとりの人の奥底にいます聖霊の中から流れ出てくるキリストの祈りを中心とするということです。神に関するあらゆる考えよりもさらに深いのが神ご自身です。想像よりも深いのが神の現実です。したがって、こういう純粋の祈りにおいては神の御国一つに心を委ね、あらゆる考え、言葉、想いを捨てるのです。そうすることで自己本位な自分は死ぬにまかせ、キリストにあっての本当の自分へとのぼっていくのです。

瞑想は、今日の多くのキリスト者の生き方に必要な沈思黙想の祈りです。それは決して他の祈りのあり方を排除するものではありません。サクラメントや聖書朗読に対する敬虔な気持ちはかえって強まるものです。

ローレンス・フリーマンOSB

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