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| 瞑想のし方 | ![]() |
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| 汝ら静まりて我の神たるを知れ | ||
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瞑想では心を静止させ、身体を静止させなければなりません。素晴らしいことに、すべての人を狂気へと駆り立てかねない現代社会の混乱の中にあっても、この沈黙は、だれにでも可能なものなのです。この沈黙と静止に至るためには、時間と力、そして愛をささげなければなりません。 この行脚に出発する方法は、マントラと呼ばれる短い祈りの言葉を唱えることです。マントラは、私達の注意を自分を超えた所へと差し向ける方法、つまり自分の考えや悩み事から心を引き離す方法に過ぎません。瞑想の本当の働きは、肉体と頭そして心(魂)の調和を手に入れることです。これが「汝ら静まりて我の神たるを知れ」(訳注:文語訳、詩篇46:10)と書いた詩篇作者の意図なのです。瞑想の中では意識のサーチ・ライトを自分自身から消してしまうのです。 瞑想の中で神について考えたり、想像したりしているのではありません。そのようなこととは比べ物にならないほど大きなことをしようとしているのです。神とともに在る。イエスとともに在る。聖霊とともに在ることを求めているのです。瞑想の中では、一切の思考を超えたところに向かいます。聖なるものに関する考えも越えていくのです。瞑想とは考えることではなく実在することなのです。キリスト者の祈りの目的は、私達の中にいます神秘的なそして沈黙の神の存在が、私たちがするすべての行い、私たちの実存全体に、意味、形、そして目的を与えてくれる実在となることを妨げないようにすることです。だから、瞑想の課題は、私たちのかき乱された精神を静止へ、沈黙へ、そして注意の集中へともっていくことなのです。 |
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瞑想するためには静かな場所を探してください。そして楽な、直立した姿勢で座るのです。そっと眼を閉じ、リラックスして、しかし心を澄まして座ってください。沈黙のうちに、心の中で、一つの言葉を唱え始めます。私達は、マラナタという祈りの言葉を薦めます。まったく単純です。こんなふうに言うのです、マ・ラ・ナ・タと、この四つの音を同じ強さで言います。呼吸とタイミングを合わせて言う人もいます。そのスピードはかなりゆっくりといってください。マラナタは、イエス自身が話していたアラミック語です。それが意味するところは、「主イエスよ来たれ」です。これは、おそらく最も古いキリスト教の祈りの言葉です。聖パウロは、コリントをこの言葉で結んでいますし、聖ヨハネは黙示録をこの言葉で閉じています。そっと、絶え間なくマントラを唱えながら、そのマントラを聴いてください。たとえ霊的なことであってもなくても、何も考えたり想像したりする必要はありません。 瞑想は、静かな夢想だとか受身な静けさとは無縁のものです。意識をはりつめて目覚めていなければなりません。もし、いろいろな考えや想いが浮かんできたら、それは瞑想のときは邪魔なものです。だから、単純に祈りの言葉を唱えることに戻ります。その気を逸らすものを追い払うことに力は一切使わないでください。それは単純に無視するのです。それを無視する方法は、マントラを唱えることです。毎朝、そして毎晩、忠実に20分から30分の間瞑想をするようにしてください。 |
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静かな場所で、楽な姿勢で背筋をまっすぐ伸ばして最初から最後までマ・ラ・ナ・タとゆっくり唱えつづける、自分の存在の中心にむかって、どんどん深まる沈黙、その中で初めて神の永遠の沈黙、その神秘に入ることができるのです。 ジョン・メイン |
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