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The World Community for Christian Meditation
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Weekly Readings ?2002年2月17日
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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A selection from Laurence Freeman OSB, "Letter
One," WEB OF SILENCE (London:
Darton,
Longman, Todd, 1996), pp. 14-17.
新約聖書は当然ながら平安と喜びをキリストを中心とする生活の表現と結び付けている。そして言葉には常につきまとう危険ではあるが、この言葉は今や、単なるキリスト教の業界用語として使われることがしばしばである。私達は平安、愛、そして喜びと霊の賜物ということを語るが、それはそういうものがともに歩む私達の生活を特徴つけるべきものというべき論からであって、現実に、そうだということはめったにない。また、そういうことは、中心への行脚が外側から内側へと移っていかない限りありえないことでもある。瞑想が平安の道であるのは、それが人を前へ、深く奥へおしすすめ、平安を妨げるあらゆる錯覚、作り事、自己欺瞞が溶解される心の内奥の中心へと導きいれてくれるからだ。人間というのは自分の欲望や偏見を合理化するものだから、瞑想のような、理性などよりもっと深い知覚へと導きいれてくれるものが必要なのだ。
悩み事や心配事の真っ只中にある時は、そこから抜け出そうといくら考えたところで平安はえられない。思案すればするほど、混乱した出発点に立ち戻るのが常であり、思案は偽りに満ちた迷宮でしかない。それに対して祈りは、思案など及ばぬ深みへと到達させ、「あらゆる理解を超える」平安へと導いてくれる真実の迷宮である。不安を手放すことが最大の困難であるが、そのことがエゴがいかに負の弾力性に富んでいるかを証明している。しかしことは実に単純なのだ。瞑想の本質を把握しさえすればよいのだ。その本質とは、何も考えないようにしている、というのではなく、単純に何も考えていないということだ。
多くの古代の迷宮では、中心にはモンスター、すなわち恐ろしいものそして命への危険が待ち受けていた。キリスト教の迷宮は人生のあらゆる紆余曲折の中心にキリストがいるという。キリストの中では恐怖ではなく、最終的かつ根源的な愛の確信の中での恐怖の溶解がある。瞑想とは愛の働きであり、神を究極的に知ることは、思念によってではなく、愛によるのだ。救いにいたる知とは愛の知なのだ。だからジョン・メインは、人間的な愛の体験を、なぜ瞑想するのか、そしてどうして瞑想が実在へといたる道であるのかを理解する最善の方法と述べているのだ。
あらゆる関係と同様に、瞑想にも段階がある。一つ一つの成長の段階に必ず危険、すなわち信仰による跳躍(安全の保証がないにもかかわらず信じて飛び越えること)がある。誰しもが皆、熱狂、瞑想法の模索、意欲の喪失、一瞬の啓示といった段階を経ていくのである。しかし、迷宮の中心こそ私達の本当の家であり、そこにいたれば、私達はただ自分でいられることを、ともに迷宮を旅するものどうし、お互いに迷宮の中から声をかけあうのだ。そして私達は、仮に喜びが実在の本質でなければ、そして仮にキリストが私達すべてへの愛の中で、その喜びへの最終的な覚醒へといたっていなかったならば、喜びに包まれる瞬間を何度か味わうことも、一瞬の目覚めを体験することもあり得ないということを思い出すのだ。
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>>>>> 30分間瞑想 <<<<<
覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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A selection from from Jalaluddin Rumi, BREATHING
TRUTH, edited by Muriel Maufroy (London:
Sanyar Press, 1997), p. 158.
もし火の知識が言葉だけによるものなら、自分を調理してもらうがよい。
他人から与えられた確実性の中に安住してはならない
やけどをする前には本当の確実性などないのだ。
この確実性がほしいのか?ならば火すべてを取れ。
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