|
The World Community for Christian
Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
Weekly Readings ?2002年2月24日
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
A selection from Laurence Freeman OSB,
"Meditation," JESUS: THE TEACHER WITHIN (New York: Continuum, 2000),
pp. 199-200.
瞑想はまったく新しい存在の様式の始まりとなる。それは何かテクニックというよりも生き方である。それは徐々に徐々に明らかとなってくるコミュニオンの体験、すなわち霊肉の二元論的関係性の限界を超越して自己と他者(複数)が一つとなる体験からはじまるものである。たいていの人が人間関係には情熱的な関心を抱き、そしてそれこそが自らの人生の中で最も聖なる要素であるとみなしているが、そのような人間関係は、人生という旅路のほんの一段階に過ぎない。関係というもの自体をこえたところに、つまり、あらゆる関係の中心にある沈黙の世界、そこにいたると私たちを隔てている壁が崩れ落ちる場所に至って初めて、一つとなれるのである。人間関係の中においては、私たちは常に隔てられた他者を見ている。しかし、その見ているということそれ自体が、他者を客体化するその作業の中に厳然とある距離が、あらゆる人間関係に内在する苦しみを生み出すのだ。それは所有し支配したいというエゴの欲から生まれ出る葛藤の苦しみなのだ。
それはまた、人を愛すれば必ず、避けようもなく訪れる愛する者の喪失の苦しみでもある。しかし、一つになっていると、所有欲などというものはありえない。なぜなら欲それ自体が超越されているからだ。自己本位の境界線は溶解しているのだ。比べることのできぬまったく独自な存在どうしが抱擁しあい、他者性の中に自分を見出し、異なりの中に同一性を見出すのである。恐怖と欲望、支配と隷属は終わる。そこで得られるものは、欲望が夢想だにし得ぬほどのものである。人間どうしの関係がこれほどの完全さにいたったとすれば、といってもそういうことはめったにあるわけではないし、仮にあったとしてもたいていはつかの間のものに過ぎないが、それは真実霊的な友情と呼べる。そういう関係の中にはいると、自分の宿命や潜在能力は、霊を通して神の愛の共同体にともに与る道だと気づくのだ。一つになっていると、他者性を客体化するのではなく、自分のものとし、その中に入り込み、吸収してしまうのだ。自分はその相手の中におり、そして相手が私の中に入っている。
これはすべて瞑想の成果である。一つとなることの種子は私たちの本性の中にあり、発芽する機会を待っている。瞑想はこの潜在能力への招待を受け容れ、成長するためには絶対的に必要な死へと備えてくれるのだ。こういうことすべてを瞑想を始める前に理解しておくことが重要である。そうすれば、無駄に誤った方向へ歩みだすこともしなくてすむし、苛立ちを和らげてもくれる。そうすれば、瞑想の成果を捜し求めるべき場所は、瞑想の時間それ自体ではないということ、すなわち瞑想の最中に何かが起こるだとか、あるいは起こらないだとかいうことではなく、我々の生活のあり方そして質、特に人間関係におけるそれであるということがわかるだろう。
私たちは瞑想の中で何かすごいことが起こるのを待っているのではない。ポイントは、ごくありふれたところに神の存在を見ることであり、現実に対する感じ方を変容させること、つまり、我々の計画に合わせようと世界を勝手に作り変えないことなのだ。 それは人生の諸問題から逃げ出すことではない。それは簡単なことではない。しかしそれは、そしてこのことをきっちりと見極めておくことが瞑想において最も大切な要素なのだが、まったく単純なことなのだ。[そしてそこで起こることは]、、、理解を超える喜びと平安なのだ。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
>>>>> 30分間瞑想
<<<<<
覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
瞑想の後で
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
A selection from the Amritabindu Upanishad,
THE UPANDISHADS, tr. Eknath Easwaran (Tomales, CA: Nilgiri Press, 1987), p.
244.
ミルクの中にバターが潜んでいるように、
「自分」はすべての心の中に潜んでいる。
その上で、瞑想の中で心を攪乳せよ、
その上で、瞑想の中で君の火を点灯せよ、
「自分」は、まったく完全、まったく平安、まったく確実
「私は「自分」を実現した」と賢者は宣言する、
「それはあらゆる存在の中に現在する。
私は愛の主と一つになった、
私は愛の主と一つである。」
_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/
この栞はあなたの個人的な使用のためだけに提供されています。(引用される文書は色々な理由で繰り返されることがあります。)将来利用するためにハードディスクに保存してもいいですし、別な機会に読んだり、他の人と共有するためにプリントするのもよいでしょう。
インターネット上の瞑想週会に参加し、emailでこの「瞑想の栞」を受け取りたいという方は、http://form.easyml.com/easyml/meditation-c8.php3 で「キリスト教瞑想会ML」に登録してください。
また、瞑想時の姿勢など具体的な方法論を知りたいという方は、世界キリスト教瞑想会京都グループの日本語ホームページ (http://www.esuk.net/wccm)にお越しください。WCCM現リーダーローレンス・フリーマン神父他の写真いりで、具体的な説明がつけてあります。
それ以外、瞑想に関する疑問等ございましたら eagle1@esuk.netまでお寄せください。
京都グループのウエブサイトで2001年4月以降の瞑想の栞を見ることもできます。
また、英語でこの瞑想の栞を読みたいという方は、http://www.wccm.org/で申し込んでください。
WCCMの活動は、皆さんからの寄付で支えられています。センターへ寄付金を送っていただければ大いに感謝いたします。センターの住所は、
The World Community for Christian Meditation,
International Center,
23 Kensington Square, London W8 5HN, United Kingdom.
アメリカ合衆国ならば、
The John Main Institute
3727 Abbeywood, Pearland, TX. 77584
瞑想に関する書籍やテープの全商品のカタログが必要な方、またオンラインで購入されたい方は、http://www.mediomedia.com へお越しください。当サイトはセキュア・サイトとなっています。
Weekly Internet Meditation Group Leader
Carla Cooper
WCCM USA National Coordinator
Huston, Texas
++++++++++++++++
日本語のWeekly Readings (瞑想の栞)翻訳・監修責任
WCCM京都グループ 黒宮康明
E-mail:blackeagle@earlysummer.org
|