The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings ?
2002年3月24日
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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A selection from Fr. Laurence Freeman: Dearest Friends, January 1997 WCCM International Newsletter.

いつも過ちを犯してばかりの人間ですが、聖霊は、必要とされるまさにその瞬間に時期を失することなく介入してくださいます。聖霊は何も要求することはありません。ただ、もう一度つながりたいかと尋ねるだけです。再び体の一部とされる、再びつなげられるというのは、贖(あがな)いの行い、常に差し伸べられているあわれみの行いなのです。生涯を通して続けるうちに、そのパターンが深く刻み込まれていきます。いつも神を意識して生きる習慣が、あらゆるものの中に神を見る習慣が身につくようになります。。。愛されているのだと信じることができるようになります。よい習慣が悪い習慣を駆逐(くちく)するのです。そしてパターンというものは、別なパターンの助けを借りて初めて解釈することが可能になります。。。ので、過去、現在、そして未来のパターンへの洞察力(どうさつりょく)を身につけることになります。そしてそのような洞察力を養うということは、同時に悔い改めを行うことです。なぜなら、なんと多くの過去のあやまちが、過去に生きていたために、あるいは未来に生きていたために生じてきたことかということにすぐに気づくからです。変わる力、新しいパターンに発展をとげていく力を失った過去のパターンに捉えられていたり、あるいは、苛立ち(いらだち)や不安や空想のうずに煽(あお)られ未来を漂流したりしていたのです。

 永遠の言葉の受肉は、歴史上のある瞬間に起こったことです。しかしそれは、すべての瞬間の中においても起こることなのです。この受肉を知ることが熟視であり、その知の中にとどまるためには瞑想の働きが必要なのです。瞑想をしていると、パターンが再び形をなし改善され(訳注:Lawrenceお得意の言葉遊びです。re-form[re=再び+form=形をなす]reform[改善する]が並置されています)、古いパターンが解消し、新しい、もっと自由で、もっとのびのびとしたものが精神と心の中に生まれてくるのです。祈りの中で、再び実在の一部とされ続けない限り、すでに失ってしまったものや、明日こそ起こってくれと願っているもののことばかり考えて、この瞬間 という贈り物を見失ってしまいます。これが、ジョン・メインがあれほど深く悟った、瞑想とはキリストの瞬間(いま)に生きることなり ということの意味なのです。それは、昔いたキリストについて、あるいはどのように再臨するかということについて考えることではなく、今キリストとともにあり、今キリストの存在の中で変えられること なのです。これは動きのない歴史上の瞬間ではなく、存在それ自体の神秘が湧きいずること、花開くこと、そして神秘が自らを開示することなのです。

 瞑想を実践しない限り、瞑想がなんであるか、その意味がいかに深いものであるか、実際、ほんの短期間でそこから何かを得ようとするものたちが考えているよりもなんと深いものであるか、そしてとりわけ、瞑想によって自分は何かを生じせしめているなどと考えている者たちには思いもよらぬ深さをもつものであるということは分かりません。瞑想するようになるとマントラはどう唱えるべきかが分かるようになります。実際、マントラの唱え方は、自分のあり方そのもの、愛のあり方そして日々の愛のあり方なのです。苛立ちをもたずに、威力即ち一切の暴力的思いを持つことなくマントラを唱えなければなりません。マントラの目的は様々な思いを遮断することではありません。レーダーの電波かく乱装置ではないのです。瞑想の最中に様々な思いが襲ってきたら、反対側のほほを差し出すのです。そっとマントラを唱えながら心のやさしい、謙虚なキリストにならうのです。生活が、日々の生活が私たちの祈りについて語るものとなります。そうなると、もう祈りが、自分の生活について際限なく語る言葉で満たされることなどなくなります。自分自身が耐えることのない祈りとなったのです。それがキリスト者のあり方の目標なのです。

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分間瞑想 <<<<<
覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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A selection from St John of the Cross, The Spiritual Canticles,

 

私は魂を主にささげ

そしてすべて所有しているものはすべて主のものとなった。

飼うべき群れもなく

他の職業もない

私のただ一つのつとめは愛だ。

 

あちらの丘、こちらの丘と羊たちを追ううちに

私の姿が見えなくなったら言ってくれ

迷子になったんだと

愛の中をさまよううちに、自分で

自分が消えるにまかせ、そしてそれから神のものとされたのだと

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この栞はあなたの個人的な使用のためだけに提供されています。(引用される文書は色々な理由で繰り返されることがあります。)将来利用するためにハードディスクに保存してもいいですし、別な機会に読んだり、他の人と共有するためにプリントするのもよいでしょう。

 

インターネット上の瞑想週会に参加し、emailでこの「瞑想の栞」を受け取りたいという方は、http://form.easyml.com/easyml/meditation-c8.php3 で「キリスト教瞑想会ML」に登録してください。

 

また、瞑想時の姿勢など具体的な方法論を知りたいという方は、世界キリスト教瞑想会京都グループの日本語ホームページ (http://www.esuk.net/wccm)にお越しください。WCCM現リーダーローレンス・フリーマン神父他の写真いりで、具体的な説明がつけてあります。

 

それ以外、瞑想に関する疑問等ございましたら eagle1@esuk.netまでお寄せください。

 

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Carla Cooper
WCCM USA National Coordinator
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