遅くなりましたことお詫びいたします。

I apologize for the delay.

 

The World Community for Christian Meditation +
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Weekly Readings ?
2002年4月21日
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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A selection from “The New Holiness: Meditation and the Spirituality of our Time,” a lecture given by Laurence Freeman OSB, March 18, 2002, The Australian Catholic University, Sydney, Australia.

最近メルボルンであったある行事で、一人の若者の質問を受けて大いに困惑したことがあります。「どうやったらキリスト教瞑想の伝統を現代の霊性の一つとして伝えていくことができるんでしょうか。僕たちの世代にとって、「クリスチャン」とか、「教会」とかいう言葉自体がとってもダサいんです。道徳や宗教を押し付けたがる奴、どこか抑圧的で一枚岩的っていう響きがあるんです。しかも今は、教会で高い地位にある神父たちが、子供たちへの性的虐待という模範を示してくれちゃって、昔は絶対の真理と尊敬を集めていた教会の権威なんてまったく地に落ちてしまっているというのにですよ。」

仮にこの屈辱(humiliation)を謙虚さ(humility)の叡智へとかえることができるとすれば、それは霊性の本当の源が、説教ではなく教えの中にある、つまり外形的な形ではなく内面にあるからということになるでしょう。この若い瞑想者の質問に対する答えは、聖潔(holiness)の本当の意味を再発見し、そしてそれを、現代にふさわしい霊性として現代の人々に伝える新しい言葉を見つけることにあります。昔は、キリスト教瞑想といえば、修道院や女子修道院というところで専門家たちがやっているものと考えられていました(これは正確ではありません)が、今日のキリスト教瞑想生活は、この修道院や女子修道院の壁を突き破って、爆発的に広まっています。今日の霊性は、誓約をたてての宗教的生活だとか、長期に及ぶ黙想修行というものを聖潔の基準とするものではありません。みな、ストレス一杯の多忙な日々の生活の中で、家庭で瞑想の時間を作っているのです。

こういう状況を作り出すのに貢献した先生たちは大勢いるのですが、その中でもトーマス・マートンが最初に祈りの言葉についてのとても大きな変化に気づいた人でした。それは、地震を引き起こす地殻変動にも似たたいへん大きな変化でした。マートンは書いています。「新しい祈りの言葉を創出しなければなりません。そしてこの新しい言葉は私たちのあらゆる伝統を超越するものから生まれてこなければなりませんし、また愛を直覚する中で生まれてこなければなりません、、、。」

聖潔というのは認識の方法です、神を見る一つの見方です。心が純粋である人ならば、つまり心が分断されていない人であれば誰でも神が見えます。ブレークが言ったように、知覚の扉が清められるとあらゆるものがその真実の姿で、つまり無限のものとして見えるようになるのです。トマス・アクイナスが言ったように、瞑想とは真理を単純に享受することなのです。人類は進化をしています。ひどい退化を繰り返しながらも進化しており、以前見えなかったものが見えるようになります。確かに、今見えているものの多くは人間の尊厳、そして価値についての私たちの感覚からすれば好ましいものではありません。ひょっとしたら、私たち自身の邪悪さが見えているのかもしれません。しかし私たちはそういうものをより普遍的にそしてよりはっきりと見えるようになっているのです。聖潔な人というのは本質的に、ものが見える人のことなのです。私たちには聖潔である義務があります。「あなた達の天の父が完全であるように完全である」義務があるのです。それが人間の意識の値札なのです。シモーヌ・ベールが言ったように、「世界は、疫病に取り付かれた町が医者を必要とするように、聖者が必要だ。必要があるところに義務がうまれる。」

初期のキリスト者は祈り方が生き方だと考えていました。日々の実践の中にしっかりと根付いていると、瞑想は、聖アウグスティヌスが言っているように、私たちが神を見る心の目を絶え間なしに健全な状態に回復してくれる心の祈りとなります。本当に見るということは心を集中することです。聖潔とは見る方法であり、聖潔な人々とは出会う人一人一人の中で、また出会うもの一つ一つの中で神に心を集中させる人々のことです。しかし瞑想とは善意のことではありません。善への集中です。このばらばらで、根無し草で散漫な世界にあっては、自然界の、お互いの、そして自分自身のなかにある善へと心を集中する術を取り戻すことがもっとも必要です。それが、今の苦境にあって私たちがすがりつくことのできる、希望に満ち癒しを与える未来像を与えてくれるのです。
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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A selection from Simone Weil, WAITING FOR GOD (New York: Perennial Classics/Harper Collins, 2001), pp. 64-65.

神の愛は、その実体に心を砕いているばかりではない。私たちの隣人の愛、それもまた同じ愛であるが、もまたこの同じ実体からできているのだ。不幸な人々がこの世で必要としているのは、彼らに心を向けることのできる人々である。苦しんでいる人に心を向ける能力はきわめて稀なものであり困難なものである。ほとんど奇跡と言ってもよい。いや、奇跡である。自分ではこの能力があると思っている人々のほとんどに実はその能力は備わっていない。心のあたたかさ、衝動性、憐憫では十分ではない。

グレール号の最初の物語では、グレール号(聖別された主人の力によってあらゆる飢えを満たしてくれる軌跡を行う船)は、船を守護している者、これが、この上なく苦痛に満ちた傷によって全身の4分の3が麻痺している王様なのだが、この守護者に「あなたは今どんな体験をしておられるのですか」と最初に尋ねた者に与えられることになっている。

完全な隣人愛とは、「今あなたはどんな体験をしておられるのですか」とたずねることができることを意味する。それは、その苦しみを受けている人が存在している、それも集合の中の一つの単位としてだとか、「不運」というラベルを貼られた社会的範疇の一つの標本としてというばかりではなく、自分とまったく同じ一個の人間として、つまり、ある時、苦悩によって特別な刻印を押された人として存在しているということを認めることなのだ。この理由のために、ある一つの見方で隣人を見つめる方法を知るということは、十分というよりも不可欠なことなのだ。

こういう見方は、まず第一に完全な集中である。魂は、今見つめている存在を、自らのうちに、あるがままに、その真実の姿で受け止めるために、自分の内にある一切合財を外に出し空になるのだ

集中することができる人のみがこれをすることができる。
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この栞はあなたの個人的な使用のためだけに提供されています。(引用される文書は色々な理由で繰り返されることがあります。)将来利用するためにハードディスクに保存してもいいですし、別な機会に読んだり、他の人と共有するためにプリントするのもよいでしょう。

インターネット上の瞑想週会に参加し、emailでこの「瞑想の栞」を受け取りたいという方や、瞑想時の姿勢など具体的な方法論を知りたいという方は、世界キリスト教瞑想会京都グループの日本語ホームページ (http://www.esuk.net/wccm)にお越しください。WCCM現リーダーローレンス・フリーマン神父他の写真いりで、具体的な説明がつけてあります。

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