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Weekly Readings ?2002年6月23日
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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John Main OSB, "Leaving Distractions Behind(雑念をすてる)," MOMENT OF CHRIST (New York: Contiuum, 1998), pp. 6-7.

瞑想は静寂です。それは瀞の静寂に似ています。瞑想を始めると起こる雑念は瀞場の水を乱すさざなみや流れそして反流でしかありません。しかし瞑想を始め、静寂が訪れると、その静寂の中で水の深淵がどんどん澄み渡っていきます。私達一人一人がそれへと召され、全ての人が自分のものとなし得る瞑想の体験は、私たちの中にある水の深淵に似た無限の深淵を発見することなのです。この水の深みがすばらしいのは、それが静かな時に太陽の光が差し込むと、その無限の深みの中にあるすべての水の滴りが太陽の光を浴びて生命を宿したクリスタルのようです。それこそがまさに私達が瞑想の中で招かれているものなのです。私たち自身の霊の深さを発見し、「私は世の光である」と告げられる神との完全な調和の中に入ることができるその力を発見することなのです。

誤解してはいけません。絶対の真理をもってあなた方にお話ししてきたように、瞑想は単純そのものです。しかし自分自身の霊の中におけるこの深い調和、即ちあなたの中にいます神の霊を顕してくれる調和へのコミットは真剣でなければなりません。真剣でなければならないのです、、、。

聖パウロの言葉に耳を傾けなさい。「いいですか、わずかしか種をまかなければ、刈り入れもわずかです。たっぷりと種をまく者は刈り入れもたっぷりとあるでしょう。」(英文より私訳)すべての人に、私たち自身の霊におけるすばらしい収穫があります。しかし、イエスの御霊にたいしてここまで自らを開けという召しに応えるためには、一人一人が本当の寛大さをもたなければなりません。第一に、毎朝そして毎晩瞑想のために30分、時間を献げる時に寛大さが必要です。

第二に、実際に瞑想に入っている間は、最初から最後までマントラを唱えつづけるためには、大きな寛大さが要求されます。本当にしょっちゅう、私達は、自分の考えの流れをおいかけたくなってしまいますし、自分の洞察を深め、自分の宗教的感覚にとらわれてしまいます。しかし私達は、すべてを打ち捨て、そして自分の心の中の霊を探し求める事ができるようにならなければならないのです。

第三に、生活のすべてを心の中の霊との調和の中に置くために必要とされる寛大さがあります。つまり、私達はだれしも生活から起こってくる雑念をもっているのですが、それを増やさないようにしなければなりません。誰にも関心をもっていることがあります。つまり、心配なこと、責任を負っていることがあります。だから私たちがなさねばならないことは、全生活をこの探求と、この自分自身の心への行脚の旅との調和の中に置かなければならないのです。それは霊の新鮮さと心の明晰へと私たちを導く行脚なのです。

瞑想は、私たちの生活や責任に背を向けることではありません。まったく逆で、瞑想の中では、私たちに与えられている命の恵みに対して完全に自分を開放しようとしているのです。これは永遠の命の恵みそのものです。私達が今それに対して開くように召されているものは永遠の命なのです。

さ、もう一度言います。座りなさい。背骨をまっすぐにして楽に座りなさい。目を閉じ、非常に穏かに、そして静かに自分のマントラを心の中で、声にしないで唱え始めなさい。時間は忘れなさい。ただ「在る」ようにしなさい。平和の中にあるように、静止するように、体が静止し、霊が静止するように、命に、そして命の主に開いていなさい。

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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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St Diadochus, "Treatise on Spiritual Perfection," THE LITURGY OF THE HOURS (New York: Catholic Book Publishing, 1976), p. 2018.

争いの中にあっても心は大いに静寂に保たなければならない。海になぞらえればわかりやすいかもしれない。平静な海なら漁師はその深みまで見通すことができる。どんな魚もそこには隠れることが出来ず漁師に必ず見つかってしまう。しかし時化た海は、風に乱され何も見えなくなる。平静な海が顕した深みそのものを、同じ海が今隠してしまう。漁師の技量など何の役にもたたない。

聖霊だけが心を清めることができる。だからあらゆる手段を用いて、特に魂の平和によって、聖霊に安住の場を与えなければならない.そうすれば、知の光が私たちの中でいつも輝いているようになるだろう。

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