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Weekly Readings -- June 30, 2002
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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John Main OSB, "Recovering Oneness," THE WAY OF UNKNOWING
(New York: Crossroad, 1990), pp. 66-68.
キリスト者のビジョンにおいては、一人一人が、自分の創造の不思議を発見するための行脚の旅をしている巡礼です。その創造の不思議とは即ち、私達が永遠という目的地に向けて、霊の無限の広がりに向けて、神によって創造されているということです。瞑想する中で学ばなければならないのは、自分自身の価値そして重要性に関する一つの洞察への何かしらの手がかりです。神がイエスを、ご自身の偉大さばかりか私達の潜在能力をも明らかにするためにお遣わしになったとするならば、これが私達自身の限りない価値を見る根拠となります。それを見てとることは信仰を感じとることですし、瞑想の中で信仰の源が心の中に内住するイエスの御霊であると知ることなのです。
さて、私達はこういうことを神学理論の命題として知ってはいます。しかしもし私達の人生の豊かさ完全さを、一つで同じものであるキリスト者の信仰の豊かさ完全さの中で生きたいと願うならば、これらの真理を心の中に存在する現実として明らかにしなければなりません。そしてそれが瞑想なのです。つまり現実を顕(あらわ)にする真理を明らかにすることなのです。
真理は肉体と霊に関するものです。したがって瞑想をはじめる時にまず覚えなければならないのは静止することです<略>。もちろん私達は、体を一切動かすことなく座っていることに慣れていません。心を一切動かさずにいることに慣れていません。しかし心は、深淵なる静寂の中で安息する肉体との、深淵なる一体化の中で、静止しなければなりません。やがて自分の経験から、肉体の静止は、最も難しい静止ではないと気づきます。もっと難しいのが、想像したり、理性を働かせたり、比較したり、分析したり、さらには裁いたりすることを超越しなければ到達できない心の静止です。
瞑想の中では、神について考えたり、現実を分析したりはしていません。静止し、神の(そして私達の)本質を知ろうとしているのです。そしてわかるようになります。神は愛であり、そして本当の意味で瞑想とは単に私達の心の中にいます神である愛を顕にすることなのだと。
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>>>>> 30分間瞑想 <<<<<
覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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After Meditation
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Catherine of Siena, THE DIALOGUE, tr. Suzanne Noffke (New York: Paulist, 1980,
p. 25.
神の栄誉そして数多の魂の救済への激しい欲求を胸に、静止することができずに一つの魂が身を起こす。彼女はここしばらく、自分に向けられた神の善をよりよく知るために、徳を高める訓練をし、自己知識の居室に住み慣れてきました。なぜなら、愛は知識の結果として生まれるのですから。そして愛しながら、真理を追究し、真理の衣を身にまとう道を捜し求めてきました。
しかし、自分自身と神の確かな知識に根をおろした絶え間のない謙虚な祈りによらない限り、彼女がこの真理を味わい、啓蒙されることはありえません。というのも、そのような祈りによって魂は、十字架に架けられたキリストの足跡をたどり神と結ばれるからです。そして、主を求める気持ちと愛、そして愛の結合によって、キリストは彼女をもう一人のキリストにしてくださるのです。
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