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Weekly Readings ?
2002年728
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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A selection from Laurence Freeman OSB "Letter Twelve," WEB OF SILENCE. (London: Darton, Longman, Todd, 1996), pp. 132-134
 

静止状態に入ろうと腰をおろした瞬間に、日々働いている意識の表層からは少し下がった次元へと入る。それは、まるで鍛錬されていない、落ち着きのない私たちの猿のごとき精神がいかなるものであるかに容赦なく気づかされる瞬間である。聖テレサはそれを乗組員が反乱をおこし、船長を縛り付け、混乱状態の中で、代わる代わる舵取りにあたっている船に喩えている。雑念の度合いにおいてましな日もあれば、ひどい日もあるが、それとても人間の表層意識がいかに気まぐれなものであるか、いかに外的状況に依存しているか、人間とはいかに中心をもたないものであるかの証しでしかない。

『だから言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、身体は衣服よりも大切ではないか。』(マタイ625)現実の唯一の瞬間である今というこの瞬間、「私は在る」なる神との遭遇の唯一の瞬間である今というこの瞬間の中に入ろうとする。しかし、数秒以内に昨日思いついたことを考えたり、明日の計画を立てたり、あるいは空想の世界で白日夢を綾なし、願望の成就を夢見ている。『何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。』(マタイ633)イエスの祈りに関する教えは単純で純粋であり、鋭く賢明であり常識的である。しかしそれを実践することはとても私たちの力の及ばないことであるように思われる。イエスは本当に普通の人間に語りかけていたのだろうか? 

こんなにも雑念が溢れているのかと気づくと、大いに意気消沈するものだ。だからこそ覚えておこう。それは誰しも例外なく気づくことなのだ。でなければ1600年も昔に、ジョン・キャシアンがマントラ(彼はフォーミュラ(定型文)と呼んでいたが)を奨めるなどということはなかっただろう、、、。このことに気づいて、やる気をなくし瞑想をやめてしまうことは簡単だ。「これは、私にはあわない霊性だわ。私は、鍛錬には向かない人間なのよ。どうして祈りの時間にまで努力しなければいけないの?」と。だが、ほとんどの場合、このような言い訳は、失敗した自分のもろさをネチネチととがめる意識、つまり傷ついた自己否定的エゴを覆い隠しているのだ。「私は何をしても駄目なんだ、瞑想ひとつできないんだわ。」と言っているのだ。

 この段階で何よりも必要なのは、瞑想の意味をきっちりと見抜くこと、そして今自分がはまり込んでいる意識よりももっと深い次元から湧き上がってくる渇望感である。だから、実を言うと、まだ、それとは気づかないかもしれないが、そもそもの最初から私たちは神の恵みに、恵みによる促しに遭遇しているのだ。外からは、教えとか、伝統、霊的友情、霊感などという形でやって来る。そして内側からは、もっと深い体験を求める直感的な渇望感として現れてくる。わが内にいて外にもおられる霊なるキリストが外から背中を押して下さり、内から引き寄せてくださっているようにおもわれるのだ。

マントラの意味と目的とを最初からはっきりと理解しておくことが大切だ。それは頭を空っぽにする魔法の杖ではないし、また神を点灯するスイッチでもない。それは私たちを心の貧しさに引き入れてくれる「信仰に始まり愛に終わる」鍛錬なのだ。マントラを唱えるのは雑念に打ち勝つためではなく意識を雑念から放すためである。たとえうまくいかないにしろ、自分の意識を何か他のものへと振り向ける自由があると単純に発見することが最初の大きな目覚めである。それは大海の表面にある波のようなものである雑念から離れさせてくれる意識の深まりなのである。 

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 覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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Ken Wilber, "The Self in Transcendence," NO BOUNDARY (Boston: Shambahla, 1985), p. 129.

そういう鍛錬を絶えず続けていると、その中に含まれている理解が早まり、「自己」というものに関する自分の感覚が根本的に変わることに気づき始めるかもしれない。この「台風の目」は、その目の周辺を激しく吹き荒れている不安と苦しみの激しい嵐の真っ只中でなぎの静けさを保つだろう。この目の発見は、嵐の海の荒れ狂う表面の波から、静かで安定した海底の深みへと飛び込むことに似ている。最初は、荒れる感情の波の数十センチ下にしか届かないかもしれない。しかしやめずに続けていれば何尋も深く潜り、自分の魂の静かな深みにまで到達し、そして海底で大の字に寝そべり、かつて自分を立ちすくませていた混乱を、油断なく、しかし超然と見つめる能力を手に入れるだろう。

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