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Weekly Readings ?2002/08/18, 08/25合併号
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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Laurence Freeman, OSB,著THE SELFLESS SELF (London: Darton, Longman & Todd, 1989), pp. 72-73 所収"The Gift of Fullness,"より抜粋     

自己認識の難しさをみごとに捕らえたアイルランドの物語があります。それは、鄙びた島に住む素朴な農夫についてのものです。ある日彼は町まで船を漕いで行き、そして町のお店で、それまで一度も見たことがないような鏡を見つけました。鏡を手に取り、中をのぞきこんで自分の顔を見ました。それがなんであるか知らなかった彼は、「あれまぁ、親父の写真じゃないか!」と思ったのです。それで彼はその鏡を買い、家まで持ち帰ったのですが、彼は妻がそれを見ることを望まなかったので隠しておきました。しかし、時々妻は、夫が密かにこの物体に見入っているのを見かけました。妻は、きっと自分のライバル、夫が町で出会った別な女の写真に違いないと思いました。それである日、夫が留守の時に、箱を取り出し、鏡を見つけました。妻は鏡を覗き込んで、自分自身の姿を見て、ほっと安堵の声をあげました。「この醜いババァは誰なんだ。こんな醜女、私の敵じゃないよ。」そして彼女はその2度誤解を受けた自己認識の鏡をかたづけたのでした。

私達は、ありのままの自分を目にした時、それが自分であると気づくことはめったにありません。自己認識は非常に厳しいことですが、私達は必ずそれに至ります。キリスト教の伝統は常に、神を知るためにはまず自分を知らなければならないということを強調しています。聖アウグスティヌスは、「あなたを知ることができるようにするために自分を知ることができますように」と祈りました。自分を知る時には、自分自身になることが単純にできなければなりません。それは、私達の不完全さ、ありのままの自分の他人との類似性、自分に固有の汚点というものをも含みます。ありのままに自分を受け容れることができて初めて完全さの贈り物を受け取る力が備わります。したがって、瞑想の中では何よりも、自分をあれこれ他人や特定の社会的イメージ、商売上のイメージと引き比べて、自分は成功例だとか失敗例だとか判断しないで、単純にあるがままの自分になろうとするのです。

この、人間の行うことの中で最も単純でありながら最も重要なことを瞑想はどのように成し遂げるのでしょうか。今という瞬間の中にしっかりとした場を見つけさせることで成し遂げます。今在ることができるようにすることによって瞑想は自分自身になることを教えるのです。今在ることができるようになるにはしばらく時間がかかりますが日々2度の瞑想の時間の間にそれを身に付けるにつれて、私達はこの生まれつきの技術を人生の残りの期間ずっともち続けます。瞑想の成果の一つが、どんどんと、あらゆる行い、あらゆる状況の中に入り込むことができるようになることです。この微妙ではありますが欠けているものを補い、完全にするやり方で、瞑想はあなたの人生を変えていきます。<略>

瞑想をしていると、私達は自分で自分を完全にするのではないと教えられます。いかなる技術も、いかなる獲得物も、いかなる財産も私達を完成することはできません。瞑想をしていると、この切望される完全さは、何かを手に入れることによってではなく、何かを失うことによって見出すのだという、偉大で普遍的な霊的知恵を教えられます。私達はそれを失います、私達は、マントラを単純に唱える作業の中で、あの複雑で占有欲の強い自我を越えて進化していくのです。マントラは、自分の命を見出したい者は、それを失わなければならないというイエスの基本的な教えに呼応します。

クリスチャンの視点においては、私達は、手放すことでイエスの完全さに入り込むのです。His risen life is wholly present in his Spirit within us.イエスの復活した命は、私達の内にいますイエスの聖霊の中にまるごといてくださるのです。.瞑想の道はすべての人に開かれていますが、それはすべての人がこの完全なる聖霊の恵みを受けているからです。瞑想の道にあってはすべての人間が平等です。そしてすべての人間が完全さへと招かれているのです。これが福音の本質的な真理なのです。

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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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Mary Oliver, NEW AND SELECTED POEMS (Boston: Beacon, 1992),  p. 62.

夏も終わりになると私は何にも手を触れようとしないことがある、

茂みからこぼれ落ちんばかりの

花にも、クロイチゴにも。

また私は飲まない

泉の水を。鳥や木々の名をよぶこともしない。

自分の名前だってささやかない。


ある朝

あの狐が丘をおりてきた、きらきらと輝き、自信にあふれて

私を見ることもなかった――そして私は思った


あ、これが世界なのだ。

私はそこには入っていない。

美しい。
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