トップ瞑想の栞

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Weekly Readings
2002年9月22日
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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Laurence Freeman, OSB, "Depth," LIGHT WITHIN (New York: Crossroad, 1986) pp. 105-107

好むと好まざるとに関わらず、私達は落ち着く場所もなければ、手に入れたものを大切に手元においておくこともできません。さらに多くのものを手に入れることができるようにするために、あらゆるものが打ち捨てられなければなりません。これがマントラの貧しさそして単純さであり、キリスト者としての生活の喜びと自由なのです。しかしそれは厳しいものです。誰でもがよく知っている壁の中に閉じこもっていることの方が相対的にたやすいことであるように思われます。<略>しかしこれほど厳しいものへと招かれているということは、それが純粋の愛であるからに違いありません。そういう愛だけが、全人格を要求するし、またあらゆるものを隠れ場所から引き出すのです。本当の利己心は、自我の影に、恐怖と不安という壁の背後に身を隠しています。しかし神の前では、個性の作り上げたあらゆる偽りの壁の背後から本当の自分が引き出され、素朴で、まったく解き放たれた、丸ごとの、完全な自分自身として立つのです。<略>

それがあまりにも過酷なものだから、自己本位の状態の中で自分にふるう暴力(あるいは、他人に振るう暴力)よりも平安の方が恐ろしいものであるように思われるほどです。平安は、深みにおいては、私達の世界を上下ひっくり返してしまいます。キリストの力強さに応える単純さと緻密さを見出すためには、生活の非常に微妙な均衡状態の中へ、御霊の微妙な周波数の中へと入り込まなければなりません。その深みに入り込むということは、つまり、その深みに対して開かれているということは、祈りの中だけではなく生活のあらゆる局面で(よろいを脱ぎ去り)傷つきやすい状態でいなければならないということを意味します。

愛は人を傷つきやすくします。深く同情する時の、すなわち無条件のかかわりをもつ時の傷つきやすさを創り出します。(したがって)成熟するためには、回復力も身につけなければなりません。なぜなら傷つきやすいということは、実際に傷つくということですし、傷ついたからといってまた閉ざしてしまうようなことがあってはならないからです。この傷つきやすさと回復力との間のバランスは、人間存在という他には見られない、知と心と霊との混合物の構成要素の一つなのです。人は皆それぞれに固有の不均衡から出発するのですが、最後は同じ均衡(バランス)と中心性、すなわち、傷きながらも、なお赦しの超越の中で回復されたキリストに根付くよう招かれているのです。

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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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Johannes Baptist Metz POVERTY OF SPIRIT (New York: Paulist), 1968, pp. 45, 47.

人との出会いのすべては、心の貧しさに触発されたものでなければならない。相手を自分に近づかせるためには、自分を忘れなければならない。その人に対して自分を開き、たとえそれが自分をおびえさせたりむかつかせたりするようなものであっても、その人独特の人間性が全面的に展開できるようにしなければならない。私達はしばしば相手を抑えつけ、自分が見たいものだけを見ている。そのため、その相手という存在のなぞに満ちた秘密と本当に出会うということは決してなく、いつも自分だけを見ている。心の貧しさとは、決して数多くある美徳の一つというものではない。それはあらゆる超越を構成する隠された要素であり、あらゆる美徳の根底をなすものである。私達の無限の貧しさは、神の無限を映しだす影である。その中に、神の恵みとあわれみによって、自分の完全な存在を見出すことができるのだ。一人ひとりがまとうこの貧しさの衣は、神が私達に与えたもうた可能性であり、私たちを本当の人間にならしめてくれる機会である。それは神が私達にさしのべていてくださる聖杯である。それを飲むことが、神の聖なる御業が私達の中で働くことを可能にするのだ。

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