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Weekly Readings ?2002年9月29日
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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A selection from
John Main, OSB, “God’s Two Silences,” THE WAY OF UNKNOWING (New York:
Crossroad, 1990), pp.6-8
私達は、まったく沈黙とはかけ離れた世界にすんでいます。バックグラウンドはもちろん、生活の前面でも音が爆発的にあふれており、私達はあらゆるものが一度に聞こえてきて、何かに聴き入るなどまったくできないほどです。にもかかわらず、私達一人一人が祈りの状態に入るように、すなわち混じりっ気のない集中の状態、霊が神の永遠の沈黙の中で拡大する状態に入るよう召されているのです。
しかし、神がそのお姿を隠されてしまったように思われる時の、もう一つの沈黙もまた一つの現実です。その沈黙の中では、神が存在するという感覚はまったくもつことができず、神は完全に私達の世界から、私達の意識から姿を消してしまったという感覚しかありません。<略>確かに、神の無限を前に、穏やかで非常に深い驚きの念に満たされている感覚を得ている時は素晴らしいものです。これは素晴らしい贈り物です。しかしそれは探し求めたり、自分のものにしようとか、自分で合成して作り出そうとかできるものではありません。私達が成熟するにつれて、道をさらに先に進んでいくにつれて、瞑想の中で、この二つの沈黙のどちらにも、つまり神の臨在という無限の感覚にも、また神の不在という有限の感覚にも、まったく同じ満足を覚えるようになります。
それは最初は難しいものです。というのも瞑想を始めたばかりのころは、まだあまり我執を超えることができるようになっていないからです。まだ、臨在と同じように不在にも満足できる段階に到達しておらず、私達はいつも瞑想が何か満足をもたらしてくれることを求めているのです。瞑想は効果があると、つまり、もう自分は神を知っているとか、もう神の臨在の中で生きるようになったとかいうことを、いつも自分に対して証明しようとしているのです。しかし、第二の形の沈黙、すなわち神の不在の目的は、私達を浄化し、神が私達を(そして御自身を)愛しておられるように、私達も、無私無欲に神を愛することができるようにすることです。神は、愛を強め、そして忠誠を強めて下さり、御臨在の中で得られる満足感の故ばかりではなく、神御自身の故に、神が神であられるその本質の故に、神を愛することができるようにしてくださるのです。<略>
いかなる段階であれ、成熟するためには、変化や喪失によって惹き起こされるすべての困難、つまり、それによって惹き起こされるすべての感情、情動、そして思念を乗り越えて成長を遂げ、単純にそして強く神を愛するようにならなければなりません。マントラを唱えるという鍛錬の中で身につくことの一つに、何が起ころうとも、この愛の中にとどまることができるようになるということがあります。何事も、神は在る、神は愛である、そしてその愛は私達の心の内に在るという確信から私達をふりほどくことはできなくなります。もし私達がこの旅路を本気で歩んでいるとすれば、不在の感覚は、神は存在するという確信を深め、そして強め、かつ神をさらに身近なものにし、もっと完全に神を知ることができるようにしてくれるものなのです。
信仰がここまで強まれば、もう神が身近に感じられようが、不在と感じられようが、こだわりをもたなくなります。神が身近に感じとれようが、遠く離れているようにしか思えなかろうが、日々の瞑想の鍛錬にはまるで関わりをもちません。というのも私達の確信は感覚にではなく事実に基いているからです。その事実とは、神はまったく慈悲深く、愛そのものであり、哀れみ深いお方であるという事実です。この二種類の沈黙は、まったく同じ力で私達に迫り、教えてくれるのです。一方の沈黙は様々な啓示を与え、驚きの念で満たしてくれます。もう一つの沈黙は神の不在を物語るかのようですが、実は神への忠節を教えてくれるのです。そして「言葉」はその二つの中に存在しています。
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>>>>> 30分間瞑想
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覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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The Mundaka Upanishad: Two Modes of Knowing,
verses 7-9, tr. Eknath Easwaran (Tomales, CA: Nilgiri Press, 1995), p. 116.
思考の及ばぬところにおられる愛の主が
もっとも大いなるものの中で輝き、もっとも小さき物の中で輝く
もっとも遠きものの中で輝き、もっとも近きものの中で輝く
心の秘密の小部屋の中で輝く。
感覚の届く範囲を超えたところで、
しかし静止した心の届くところで、
深い瞑想の鍛錬を通して
言葉や働きの範囲を超えたところで、
しかし純粋な心の届くところで
分別の揺れから解き放たれて(輝く)
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