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日本語監修センター
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定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
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水曜日
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The International Centre The World Community for Christian Meditation
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England, UK International Office: +44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org
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The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings -- October 13, 2002
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。 毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ 静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は 十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一 つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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John Main OSB, "All You Have to Do is Begin(始めさへすればよいのです),"
WORD MADE FLESH (受肉した言葉)(London: Darton, Longman, 1993), pp. 52-54.
私達が会で集まっている時、大勢の人がその沈黙の空間におびえ、社交的に大変気ま
ずく感じるために、うつろな会話に<略>多くの時間を費やしています。私達は一人
でいる時もまた沈黙を恐れ、そのためにラジオのトークショーや、有線放送を絶え間
なしにBGMで流していることが多いのです。
瞑想の中で私達は、バックグラウンドの音の氾濫から、沈黙の世界への敷居をまたい で入るのです。これはとても重要なことです。なぜなら人間の魂が活力を得て、創造 力あふれるようになるためには、沈黙が不可欠だからです。沈黙は、生命への、環境 や友人達への創造的応答を解き放ってくれます、というのも沈黙は私達の魂が呼吸す る空間、つまり在処(ありか)を与えてくれるからです。沈黙の中では、自分を正当 化することも、誰かに詫びたり、あるいは感銘を与えたりすることも必要がありませ ん。ただ 在れ (ばよいのです)。(訳注:原文は、ここでいきなり命令文になっ ています。)
それはとても素晴らしい自由の体験です。沈黙の中では何か役割を果たしているわけ
ではありません、何か期待に応えようとしているわけではありません。自分の存在を
実在のものとし、 現実 に対し自分を開いた状態でただそこに在るだけです。する
と、キリスト者の洞察の中で、私達が存在している現実とは愛であるという発見にい
たり圧倒されます。[そして]沈黙の中で知るのです、私達の魂は愛の中へと広がりつ
つあると。
沈黙の仕方を覚えることが、行脚を始めることです。始めさえすればよいのです。沈
黙の最初の歩みを始めることが、あなたの生命の旅路を、命の中へ入る旅路を始める
ことです。2つのことを学んでいるのです。まず、じっと身動きせず座ることです。
それも、こわくて動けないからとか、自分に一つの重荷を担わせているからとかでは
なく、その静止の中で、肉体と精神そして魂が一つとされることを求めるからです。
第二に、静止の中で生じてくる、どんどんと深まる沈黙への応答として自分のマント
ラを唱えることです。
マントラを唱え始めると、自分が沈黙の入り口にいることに気づきます。これがほと んどの人にとっては、決定的瞬間となります。様々な音、考え、思い、言葉、妄想と いったこれまでなじんできた世界を離れることになるからです。その沈黙の中へと足 を踏み入れようとする時、一体その先に何があるのかはわかりません。だからこそ瞑 想の仕方を一つの伝統の中で学ぶことが、さらにその伝統を受け継ぎ、伝え、具現化 しているグループの中で学ぶことがとても大事になるのです。それは私達にとって は、「恐れるな」と告げる伝統です。イエスがその伝統の心です。瞑想の目的を、愛 の臨在の中に入ること、即ち、すべての恐れをとり去ってくれるあの愛の臨在の中に 入ることであるという伝統の、イエスは心なのです。
私達の最も内奥に内住しておられる神の永遠の沈黙、純粋なる創造の沈黙について語
るとすれば、私達の言葉のすべての単語を使ったって足りません。その沈黙がいかに
重要であるかを語ることも出来ます。なんといってもその沈黙の中で、生まれて始め
て、明瞭に、そして間違いようもなく自分の名前が話されるのを耳にするのですか
ら。自分が何者であるのかを知るようになるのです。しかし、いくら言葉を尽くして
語ろうと、結局言葉によっては、体験そのものを伝えることは出来ません。神の創造
的なる臨在の中でのまったく無我の自由の体験は伝えることは出来ません。
沈黙となることを覚えることは、自分のマントラを唱え、そして唱え続けることで す。だから自分の思考を置き去りにすることを恐れてはいけません。言葉だとか想像 だとかに立ち戻ってはいけません。そういうものは横において自分の言葉を唱えなさ い。私達は、一人でこれをしているのではありません。
だがイエスは人里はなれたところに退いて祈っておられた。
この頃イエスは祈るために山へ行き、神への祈りの中で夜を過ごされた。 (ルカ5:16;6:12)
この伝統の中で瞑想をする時、これと同じ沈黙の中へと入るのです、そしてその沈黙
の中で、私たちは神の中に入れられ、そこでイエスと一つにされるのです。
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>>>>> 30分間瞑想 <<<<<
覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼 を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さず に、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉 を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉 に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えた り、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとで す。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初 から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のう ちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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Anonymous II, THE SYRIAC FATHERS ON PRAYER, ed. Sebastian Brock (Kalamazoo, MI: Cistercian Publications, 1987), p. 184.
主よ、私の心が、あなたの大いなる恵みと交わりがもてますように、体の発する声や
肉の舌によってではなく、声を発する沈黙の中で称えられる沈黙なる主を、沈黙の中
でほめたたえるものを与えてください。
主よ、あなたの愛に満たされた心をください、あなたへの洞察に満たされた知性と、
そこからあなたの光が輝き出るまじりっけのない心を与えてください。
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