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Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings -2002年11月3日号
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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John Main OSB, "Silence of Real Knowledge(真実の知識の沈黙),' THE PRESENTCHRIST (New York: Crossroad, 1991), pp. 14-16.から抜粋
キリストは光である。キリストは私たちの視野に幅と深みを与える光である。キリストはまた、彼の完全に実現された人間の意識において、私たちが<略>神の視座からものを見る目である。彼の光なくしては、私たちの視野は偏狭な次元に縛り付けられているだろうし、私たちの霊が自らを超え、ひとつとされた時の無限の自由とクリスタルな明晰さの中へと飛翔していくこともありえぬだろうし、私たちの意識は、それがいかに素晴らしいものであろうと、外縁からの観察者の域を脱することはない。<略>しかし私たちの弱さを変質させ、私たちの限界を[キリストの]力を完成へともたらすルツボとなす光が、ふんだんに与えられ、私たちの視野の中へと純粋の光輝の中で注ぎ込まれている<略>というのも、キリストは[神の]輝きであるからだ。
私たちの視野に力を与えるために必要な光はこの輝きそのもの、すなわち神の栄光そのものである。「というのも、『闇の中から光よ輝き出でよ』とおっしゃった同じ神が、その光を私たちの内側で輝かせ、啓示の光、神の栄光の啓示の光をイエス・キリストの御顔の中に輝かせてくださったからだ」(第2コリント4:6)
この光の体験の中へと分け入る祈りの行脚をつましく歩む者にとっては、これが唯一つ必要な根本的知識である。それは、私たちを固着観念の外へと引き出し、どんどんと拡大する現実へと調和させ、自らの中心を自分に関する先入観の限界を超えて、神の中に見出させる感化力をもった世界である。私たちがどうしてこんな旅を始めたのかということは、私たちが現実に旅を始めているということに比べればとるにたらぬことである。始めるためには、ほんの一瞬身を委ねればよいのだ、エゴの壁の中のほんの小さな裂け目が、どんどんと力強く流れ込み、やがて完全な明晰さを妨げるあらゆるものを着実に克服していくことになる光を射し込ませてくれる。
いつ委ねるかは、常に我々にかかっている。それは決して、今は手に入らぬ理想、将来の可能性などではない。いつも現に今ある現実だ。唯一つの問題は、私たちが、それを見、その招きを聞き、応答することが出来るほど十分に自分自身に対して存在しているかということだ。すべての瞬間がその時である、なぜならあらゆる時の中に神の意味が充満させられているからだ。私たちの時代がキリストの時代であり、神の栄光の時代であり、それは、私たちの目覚め、私たちの気づきによってその変身が完成させられるのを待っているのだ。「今が受け取るにふさわしい時である。」
この変身の神秘は、キリストの力によって、私たちの内部で、私たちを通して働くのであるから、私たちの日々の生活がとても重大な意義を持つ。真実の光の中で見られるとすれば、いかなる細部も無意味ということはない。<略>だから、仮に私たちの霊がこの神秘の絶え間ない拡大との調和の中で拡大し、その生命と光を受け取るべきであるとするならば、この拡大の中で、私たちの祈りの時間が至高の重要性を持つことになるのだ。
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>>>>> 30分間瞑想 <<<<<
覚えておきなさい。腰をおろし、背筋をピンと伸ばして身動きせずに座りなさい。眼を軽く閉じ、体をリラックさせて、しかし心はとぎすませて座りなさい。声を出さずに、心の中で、一つの単語を唱え始めなさい。私達は「マラナタ」という祈りの言葉を薦めます。同じ長さの4音節としてそれを繰り返しなさい。自分の唱えるその言葉に耳を傾けなさい。マラナタは、そっと絶え間なしに唱え続けなさい。何も考えたり、想像したりしてはいけません。霊的なことであろうと俗的なことであろうとです。色々な考えやイメージが浮かんできますが、それらは過ぎるに任せなさい。最初から最後まで、ただ自分の注意を謙虚に飾り気なしに、自分の選んだ言葉を信仰のうちに唱えることへ戻しつづけなさい。
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瞑想の後で
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St Seraphim, "The Light of Christ," THE LITTLE RUSSIAN PHILOKALIA (Platina,CA: St Herman of Alaska Monastery press, 1991), p. 50. から
心の中でキリストの光を受け取り、見ようとするならば、目に見える対象からは可能な限り注意をそらさなければならない。<略>そのような鍛錬によって、意識がその心の中に入り込むと、キリストの光が輝く。福音によれば、この光もまた命である。「主の中に光があった、そしてその光はあらゆるものの光であった」(ヨハネ1:4)
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