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定例瞑想会
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The International Centre The World Community for Christian Meditation
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The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings -- November 24, 2002
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物理的には他の瞑想者達から離れていても、聖霊の中で結ばれています。瞑想が一日の時間の流れの中に組み込まれるように、毎朝そして毎晩、同じ静かな場所、同じ時間に30分間瞑想しなさい。時間をたっぷりと取りなさい、そして忠実にマントラを唱えなさい、そして私たちすべてを聖霊において一つのものとしている沈黙のネットワークに入りなさい。
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Laurence Freeman神父, "Leaving Needs Behind," LIGHT WITHIN (New York:Crossroad, 1989), pp. 69-71.から抜粋
[瞑想は]聖人の完成へ到る道をたどれという招きではありません。英雄や天才になれという招きではありませんし、またどんな意味でも並外れたものになれという招きでもありません。瞑想は、本来の自分になれ、(5歳であろうと50歳であろうと)本来の自分、すなわちイエスがその命をうち捨ててまで愛してくれている本来の自分になるのに必要な時間をかけなさいという招きなのです。だからジョン神父は、福音を指さしながら言ったものです。瞑想の教えとは福音の教えだと。「沈黙に入る言葉」(WORD INTO SILENCE)という本の中で、「祈りに関するキャシアンの教えのすべては福音に基づいている」と述べ、イエスの言葉をさらに引用いたします。「祈りにおいては、異教徒のようにごちゃごちゃと言葉を並べ立てるな。異教徒は多くを言えば、それだけ聞いてもらえると思っているからだ。彼らの真似をしてはならない。あなた達の父は、あなた達が求める前からあなた達の必要を知っておられる。」<略>
「あなた達の父は、あなた達が求める前からあなた達の必要を知っておられる」というこのイエスの言葉には、強い要求が潜んでいます。その要求が沈黙への召喚なのです。信頼しなさいという招きなのです。瞑想における沈黙は、ちょうどどのような人間関係においても個人的な信頼の最高の表現でありうるのと同じように、神への私たちの信頼の至高の表現なのです。私たちは、瞑想の体験から、この(沈黙しなさいという)要求が、最初は、何か恐ろしい、ほとんど理解不可能なものを想起させることを知っています。あなた方の必要なものを打ち捨てなさい。そんなこと言われても、どうしたら自分に必要なものを打ち捨てることができるでしょうか。個人的達成の必要、同情してもらう必要、理解してもらう必要、認めてもらう必要、人としての肯定に根源的にかかわるあらゆる必要。こういう必要を打ち捨てるなんて、ほとんどあり得ないほどに否定的なことであるように思われます。しかしやがてわかります。そういうものにしがみついていることが、それらをいつまでも必要な状態にとどまらせているのだということが。自分の必要にこだわるということは、今この瞬間において私たちに差し出されている完全を否定していることに他ならないのです。しがみついている限り、その必要は、実は必要ではなく欲求でしかないのです。
そういうものは、どうすれば振り放すことができるのでしょう。瞑想が非常に簡単に教えてくれます。求めないことで、少なくとも自己本位なやり方では請い求めないことで、それらを振り放すのです。つまり、自分のためには求めないということです。ミサにおける祈りはすべて請願です。しかしそれは、一人一人が、各自の孤立した欲求やエゴイズムを乗り越えて入った共同体としての、あるいは今まさに乗り越えて入ろうとしている共同体としての必要です。御国の到来を祈り求める時は、いわば、コミュニオンへの準備の一環として、自分の孤立した欲求や必要を打ち捨て、私たち自身をいけにえとして差し出しているのです。必要なものは、それについて考えなくなることによっても打ち捨てることができます。多分それが最大のチャレンジといえます。御国は建てられている、そして私たちがそうなっていると信じる段階にまでその完全さは実現されていると信じて、自分の必要について考えることすらからも意識を離していく。そこまでの信頼をもてさえすれば、、、。
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>>>>>>>30分間瞑想<<<<<<<
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遵守事項:腰をおろしなさい。身動きせずに背筋をのばしなさい。軽く眼を閉じ、リラックスして、しかし気を張り詰めて座りなさい。静かに、胸の中で、ただ一つの言葉を言い始めなさい。私たちは祈りの言葉「マラナタ」を薦めます。同じ長さの4音節として唱えなさい。自分で言いながら、その音を聞きなさい。やさしく、しかしとだえることなく言い続けなさい。何も考えたり想像したりしてはいけません――たとえ霊的なことであろうと、あるいはそうでなくても。いろいろな考えやイメージが浮かんできます。しかしそれらは流してしまいなさい。瞑想の最初から最後まで、ただひたすらあなたの注意を、謙虚にそして単純に、自分の信仰の言葉を言うことに向けなさい
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瞑想の後で
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Olivier Clement, THE ROOTS OF CHRISTIAN MYSTICISM (London: New City, 1995),p. 45.から
イエスの犠牲により、人間を神と結びあわせ、人間の性質の深み、宇宙、存在に命を与え神聖なるものにするという父の永遠の計画は達成される。二度と再び、一人きりになったり、締め出されたり、道に迷うことはない。恥や絶望にうち沈められ、出口が見つからないように思われる時には、キリストが沈黙の愛の中で私たちを待っていてくださるのだ。
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