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前週の栞

日本語監修センター
075-862-7114

定例瞑想会
日曜日
午後7時-8時
京都市左京区
北白川カトリック教会

水曜日
午後6時半-7時半
京都市上京区
西陣カトリック教会


The International Centre
The World Community
for Christian Meditation
St. Mark's, Myddelton Square
London EC1R 1XX
England, UK
International Office:
+44 0207 278 2070
Email: mail@wccm.org

先週は体調を崩し、翻訳の時間を取れませんでした。お詫びいたします。先週分は、時間が取れ次第翻訳し配信いたします。 黒宮
Illness prevented me from working on last week’s readings. They will be translated and circulated at the earliest time possible. 

The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings ?2002年12月8日
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物理的には他の瞑想者たちと隔たっているとしても、聖霊の中で一つとされている。毎朝、毎晩、瞑想のために30分間時間を取りなさい。可能であれば、同じ時間、同じ静かな場所で瞑想しなさい。瞑想が自分の一日の自然な一部になるからです。時間は十分に取りなさい。マントラを忠実に唱えなさい。そして聖霊の中で私達すべてを一つにする沈黙のネットワークの中に入りなさい。
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A selection from John Main OSB, "The Oceans of God" (December 1982), THE PRESENT CHRIST (New York: Crossroad, 1991), pp. 113-114.

愛の中に生き、そして愛から生きるようになってはじめて、私たちの存在全体の神秘的調和と統合とを知り、そして十全たる人間となります。これは田園詩的状態というよりもむしろ、常に、実践的なことです。人間にはいつも個人的なものであれ環境的なものであれ、もろさ、不完全さがついてまわります。しかし、神のキリストにおける顕現によって、これらの欠陥や偶発的事故は吸収され、もはや私たちを愛の豊かさ完全さから引き離すことが出来なくなるのです。聖なる人とは超人的ということではなく、豊かで完全な人間を言うのです<略>

天の御国から現実的なものは何一つ排除されることはありません。現実的人間の十全さは、行脚の旅路にとどまり続けるという蓄積的体験です。次第に私たちの生活のバラバラの部分が一つになっていきます。部屋の間仕切りが取り外され、自分の心が無数の小部屋から成る監獄ではなく、神の光に満たされた大きな部屋であり、しかもその壁は常に後方へと押し下げられ続けていると気づきます。

瞑想は私たちの神の知識を拡大します、なぜなら、私たちを自己知識の中へと導き入れていくうちに瞑想は私たちの自己意識を突き抜けさせてしまうからです。私たちは自分を忘れた分だけ神を知るのです。これが祈りの持つパラドックスであり危険です。そのパラドックスを研究するだけでは足りません。なぜならそれは、愛と同じく、直接生きてみない限り知ることが出来ないものだからです<略>。それはなかなか掴みがたいパラドックスです。一体どうすればこの霊を掴むことが出来るでしょうか。現実のもつこの基本的構造が人間の中にどうあらわれているかついて考えるとわかりやすいかもしれません。別な人を愛するというのは、その人のことを考えるというだけのことではありません。また、その人とともにいることを楽しむというだけの事でもありません。さらに、その人のために自分を犠牲にするというだけのことでもありません。そこには、自分がその人によって愛されることを許すことも含まれているのです。<略>

自らをイエスという人において愛されることをお許しになった神の謙虚さが全現実の基本的構造を認識する私たちの手がかりとなります。言葉づかいがここでは誤解をうみそうです。というのは、自分が愛されることを許すといってもそこにはまったく受身なところはありません。それは、自分の注意を自分からはずすことにまったく受身なところがないことや、マントラを唱えることに受身なところはまったくないのと同じことです。瞑想は、私たちの生活の中の根本的な関係の中へと連れて行ってくれるのです<略>。私たちは、神が私たちを知っていて、愛していてくださるから、神を知り、愛するようになるのです。神の自己知識が私たちの自己知識となるのを妨げなくなるのです。これが愛の錬金術なのです。
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>>>>>>>30分間瞑想<<<<<<<
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遵守事項:腰をおろしなさい。身動きせずに背筋をのばしなさい。軽く眼を閉じ、リラックスして、しかし気を張り詰めて座りなさい。静かに、胸の中で、ただ一つの言葉を言い始めなさい。私たちは祈りの言葉「マラナタ」を薦めます。同じ長さの4音節として唱えなさい。自分で言いながら、その音を聞きなさい。やさしく、しかしとだえることなく言い続けなさい。何も考えたり想像したりしてはいけません――たとえ霊的なことであろうと、あるいはそうでなくても。いろいろな考えやイメージが浮かんできます。しかしそれらは流してしまいなさい。瞑想の最初から最後まで、ただひたすらあなたの注意を、謙虚にそして単純に、自分の信仰の言葉を言うことに向けなさい
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瞑想の後で
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A selection from John Main, "Letter Ten," LETTERS FROM THE HEART (New York: Crossroad, 1982), p. 119.

クリスマスはみなの心をキリストの臨在に開くことの出来る祭典です。クリスマスには、私たちが主の光に目覚めんとするならば必要である大いなる無垢と希望が私たちの目の前に置かれます。そして私たちは確信に満たされます。というのもクリスマスによって古き時代は終わったのですから<略>。[クリスマスは]人類すべてにとっての新しい夜明けなのです。微かな、しかし確かな輝きから始まります。その放つ光は次第に力を帯び、着実に空を、大地を変えていきます。そしてついには、目もくらむばかりの輝きの中で完全な日中となるのです。
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