The World Community for Christian Meditation +
Weekly Internet Medit@tion Group
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Weekly Readings ?2001年10月14日
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物理的には他の瞑想者達から離れていても、聖霊の中で結ばれています。瞑想が一日の時間の流れの中に組み込まれるように、毎朝そして毎晩、同じ静かな場所、同じ時間に30分間瞑想しなさい。時間をたっぷりと取りなさい、そして忠実にマントラを唱えなさい、そして私たちすべてを聖霊において一つのものとしている沈黙のネットワークに入りなさい
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John Main OSB  THE PRESENT CHRIST (New York: Crossroad, 1991), , "Beyond Memory, "  pp. 105-107.

自由へと成長を遂げる過程は人間の生活のもつ神性の本質的側面の一つである。神は無限の成長、無限で完全な自由であるお方である。神は完全なるお方である。しかし、神の完全は静的な達成ではない。従ってそれは、我々が境界を定めた世界の中の固定物として考えることのできないものなのである。神は、我々がしばしば思い描くような巨大な偶像などではない。神は人格である。人格的に完全であるということは、我々の拡大を妨げるすべての制約から自由であるということだ。神は、永久に神御自身を中心となし、さらにイエスに対する人間固有の意識によってすべての人間の意識をも中心とする無限の拡大そのものである。それ故に完全の状態は常に現に在るものなのだ。それは決して未来でも過去でもない。神は常に現在なのだ。

我々の瞑想は常に、、、、神の永遠の現在に入り込むために踏み出す一歩なのだ。瞑想する度毎に我々は、それに対して自らを開き、自己から離れるこの歩みを踏み出すすべての人に生気を与え、完全へと導く神性の中へと一歩を踏み出しているのだ。日々この歩みを踏み出す中で発見するパラドックスは神のパラドックスから生じてくるものである。すなわち、夢想や白日夢などではまるでなく、すべてが現にここにあるもの、即ち、すべてが現実化していて完全であるものでありながら常に超越へと拡大しつづけるものというパラドックスである。しかし、すべての成長と同様に、現在の瞬間を神性なるものとして体験することには痛みがともなう。それはあらゆる成熟の痛みである。それは、生まれ変わって新たなる人となれという招きに応じて、それまでの自分、それまでの発達してたどり着いた状態を打ち捨てなければならないことから生じてくる。<略>

瞑想は、神という現在時へと絶え間無しにブレークスルーして入り込むことである。全生涯と言う視点から見ようとしない限り、この成長の過程の神秘が理解できない理由はここにある。瞑想している人は、本来の自分である。誕生から死に至るまで(繰り返し)新たにされた自分である。自分という人格そのものである。我々は、人生の様々な局面に於いて次々に変貌し続けているにもかかわらず、その時々に見えている自分の断片を取り上げ自分はこういう人間だと思い込んでいるが、そういう断片的な自分像などではない。したがって、瞑想の中での、そして瞑想を通しての成長というものは個々の孤立した体験に限定されるものではない。それが毎日毎日自分がどういう段階にあるのだろうと思い煩うことがまったく非生産的である理由なのだ。

霊的成長とは常にユニオン(融合)の中への成長であり、それは自意識から抜け出すことを意味する。仮にこのリアリティの根本原理を、日々忠実に行う瞑想の中に具体化していくならば、「霊の人は一切を判断します」と聖パウロが言った「霊の人」のように、謙虚な、しかし絶対的な自信を得ることができる。この行脚に根ざしていれば、いかなるものであれ、それがキリストにおける完全へ向かって成長を促進するものであるのか、あるいは後退させるものであるのかがわかる。それは自己のことをさらに考えさせるのか、それとも考えなくさせるのか、それがクリスチャンの試金石なのだ。
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>>>>>>>30分間瞑想<<<<<<<
遵守事項:腰をおろしなさい。身動きせずに背筋をのばしなさい。軽く眼を閉じ、リラックスして、しかし気を張り詰めて座りなさい。静かに、胸の中で、ただ一つの言葉を言い始めなさい。私たちは祈りの言葉「マラナタ」を薦めます。同じ長さの4音節として唱えなさい。自分で言いながら、その音を聞きなさい。やさしく、しかしとだえることなく言い続けなさい。何も考えたり想像したりしてはいけません――たとえ霊的なことであろうと、あるいはそうでなくても。いろいろな考えやイメージが浮かんできます。しかしそれらは流してしまいなさい。瞑想の最初から最後まで、ただひたすらあなたの注意を、謙虚にそして単純に、自分の信仰の言葉を言うことに向けなさい
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瞑想の後で
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Eileen O'Hea著, IN WISDOM'S KITCHEN: THE PROCESS OF SPIRITUAL DIRECTION (New York: Continuum/Medio Media, 2000), p. 81

霊的な旅を続けていると、いかなる言葉をもってしても描ききれないし、また想像することも出来ないほど深く深遠な愛の体験へと招かれる。この旅の中で、母なる/父なる神が私達の霊的命の産道、エゴから真実の自分へと導く産道の向こう側から私達に優しく声をかけてくださる。我々の自己認識における基軸の推移は、誕生にともなう産みの苦しみと痛み、そして新たなる生命の自由と喜びの両方をもたらす。我々はこの新たなる生命を瞑想的な意識、即ちコミュニオン(霊的交流)意識の中に見出す、、、、。これらの言葉は完全には表現され尽くすことのない一つの現実を表現している。その現実の中では、自我は何一つ欠けるところがなくすべてが備わっている。それはまさに家に帰る体験である。
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Weekly Internet Meditation Group Leader
Carla Cooper
WCCM USA National Coordinator
Huston, Texas

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