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Weekly Readings—March 18, 2001
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物理的には他の瞑想者達から離れているかもしれませんが、あなたは聖霊の中で彼らと結ばれています。毎朝そして毎晩、瞑想の時間を半時間とりなさい。できれば同じ静かな場所そして時間に座りつづけなさい。そうすることによって瞑想の時間が一日の自然な時間の流れの一部に組み込まれていくからです。時間をたっぷりと取りなさい、そして忠実にマントラを唱えなさい、そして私たちすべてを聖霊において一つのものとしている沈黙のネットワークに入りなさい。
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John Main OSBの「The Oceans of God」(1982年10月)より抜粋、
The Present Christ(ニューヨーク:Crossroad,1991)pp.111-112、116-117所収
私達の命は、神の神秘に中心を持っていますから、一つの統一体です。しかし、それが統一体であることを知るためには、私たち自身を越えて、そして普段、つまり利己心に心をうばわれている時に見ているよりももっと大きな視点で見る必要があります。利己心そして自意識から離れ始めた時に初めてこのより大きな視点は開かれ始めるのです。ものを見る目が大きくなるということを別な言い方をすれば、ただの外見を越えて、物事の深さ、そして意義を、ただ単に自分との関わりの中でではなく自分もその一部分であるところの一つの全体との関わりの中でみるようになることだと言えます。これが本当の自己認識のあり方なのです。そして、だから真実の自己認識は、まことの謙虚さにほかならないということなのです。瞑想はこういう貴重な認識に眼をひらいてくれますし、この認識は、私たちがもう分析と定義によって認識するのをやめ、キリストの命と霊に与ることによって認識するようになる時、智恵となります。
一番難しいのは始めることです、第一歩を踏み出すことです、キリストの中に顕現する神のリアリティ(現実)の深みの中へと出発することです。一度自我の岸辺を離れさえすれば、方向を定めハズミをつけてくれるリアリティ(現実)の流れに乗ることが出来ます。一切の動きを止め、心を張り詰めていればいるほど、この流れに敏感に反応するようになります。そうなれば信仰もますます確固たるもの、真実霊的なものになるのです。心の動きを止めることによって、神の大きな海の中に入り込むのです。岸をついて沖に踏み出す勇気があれば、必ずこの方向と力を見つけることができます。沖へ出れば出るほど、その流れは強くなり、そして信仰も深くなります。しばらくの間は、私達の信仰の深さが試されることになります。というのも私達の目的地たる水平線はどこまでも遠くへ遠くへと後退し続けるというパラドックスに出会うからです。一体、このより深い信仰をもってどこに向かうというのだ?と思うその時、徐々に、私たちを導いている流れの意味に気付き、そしてわかるのです、この大きな海に果てはないのだと。
岸を離れることが最初の大きなチャレンジなのですが、そのチャレンジに立ち向かい始めさえすればよいのです。後になって、チャレンジが大きなものになるかもしれませんが、それに立ち向かうのに必要なものはすべて必ず与えられるのです。マントラを唱えることで始めます。マントラを唱えることが、どんな場合でも、始めること、最初の第一歩に戻ることなのです。やがて、私たちと神との間にはほんの一つのステップ(歩み)しかないことがわかります、、、それもキリストがご自身の中に引き受けてくださいました。キリストご自身がそのステップなのです。キリストを知るただ一つの方法は、考えや言葉を離れてキリストの神秘の中に入り込むことなのです。考えや言葉を離れ、完全な知識と愛の沈黙に入るのです。瞑想はその沈黙の中へと私たち一人ひとりを導いていってくれるのです。
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>>>>>>>30分間瞑想<<<<<<<
覚えていなさい:座りなさい。身動きせずに背筋をのばして座りなさい。軽く眼を閉じなさい。リラックスして、しかし気を張り詰めて座りなさい。静かに、胸の中で、ただ一つの言葉を言い始めなさい。私たちは祈りの言葉「マラナタ」を薦めます。同じ長さの4音節として唱えなさい。自分で言いながら、その音を聞きなさい。やさしく、しかしとだえることなく言い続けなさい。何も考えたり想像したりしてはいけません――たとえ霊的なことであろうと、あるいはそうでなくても。いろいろな考えやイメージが浮かんできます。しかしそれらは流してしまいなさい。瞑想の最初から最後まで、ただひたすらあなたの注意を、謙虚にそして単純に、自分の信仰の言葉を言うことに向けなさい。
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瞑想の後で
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A selection from Theodore Roethke, "The Far
Field," COLLECTED POEMS (New
York: Doubleday, 1961), p. 200.
I learned not to fear infinity,
The far field, the windy cliffs of forever,
The dying of time in the white light of tomorrow,
The wheel turning away from itself,
The sprawl of the wave,
The on-coming water.
私は永遠が怖くなくなった
遠い平原、永遠の強風の崖、
明日の白い光の中で時が死ぬこと
自分から離れてまわる車輪
あてもない波の広がり
押し寄せる水